フランス強いなあ。
強い。強すぎる。
今、観終わりました。
はい、サッカーの話はこれで終わりです。
今日は感慨です。
なんだろうな?
「負け」
みたいな感覚がどこかあったんだよな。
あ、不登校の話です。
高校に行く。大学に行く。就職する。
もっと言うなら――。
会社に入る。働く。昇進していく。
そういう右肩上がりのエスカレーター。
そこから逸れること。
それはなんのかんの、やっぱり
ぶっちゃけ「負け」なんだと。
そんな潜在意識が強かったと思う。
13年前、
息子が不登校になったときの僕のことだ。
でもまあ、なんだかんだの
悪戦苦闘とスッタモンダの末。
不登校を受け入れた。
当初は渋々ながらも。
でも一旦受け入れて
丸ごと飲み込んでしまえば――。
もろもろ物事の見え方は
気づけばぐるっと変わっていく。
学校に行かないこと。勉強しないこと。
フリースクールで毎日過ごすこと。
「これって本当に負けなのか?」
例えば自分はどうか?
ごくごく小さな会社ではあるけど、
一応部門の責任者として働いている。
悪くない給料ももらっていた。
でも決定的に楽しくなかった。
楽しいのは金曜日の帰り道だけだ。
組織から外れること。
それはかつての自分にとっては
明確に「負け」を意味していた。
「でもそれって本当に負けなのか?」
本当の負け。
それはたいして楽しくない日々を
死んだ魚の目をして
漫然と過ごすことなんじゃないのか?
「嫌なら辞めれば?」
これは相手が辞められない状態に
あることを知って投げつけられる、
酷い言葉であることが多い。
でも息子の不登校を
受け入れてしまってからというもの。
「嫌なら辞めれば?」
この言葉は他意のない、
文字通りの意味を持って
僕の頭の中で響くようになった。
組織の中で輝けていない。
職場に心許せる人もいない。
楽しみは金曜の帰り道だけ。
でも追いつかないから休日出勤。
「これこそが負けじゃんね?」
当時、こんなふうに明確に
言語化できていたわけじゃない。
でも思い返せばそんな感覚は
静かに膨らんでいたんだと思う。
心の糸がぷつんと切れた。
月曜の会議で熱弁したときのこと。
自分としては渾身の提案のつもりだった。
異論反論、大歓迎。
ぶっちゃけトークで局面ひっくり返そうよ。
このまま座して死を待つのは違うよね?
そういう熱い思いからの提案だった。
でもそれは僕一人だけだった。
「あ、俺こんなに浮いてる……」
笛吹けど踊らず。完全なる道化師だった。
切なかったか?
いや、むなしかった。
翌日火曜日はたまたま代休を取っていた。
横浜のみなとみらいに一人行った。
新しい腕時計を買って、
ホテルのチャイニーズレストランで
それはもう豪勢なランチを食べた。
もちろんスパークリングワインも付けた。
やっと少しだけ心が晴れた。
そして水曜日の朝、退職願を出した。
何が本当の「負け」なのか?
学校へ行かないこと?
組織で働けないこと?
いや、違うでしょ。
何が本当の「負け」なのか?
人生を楽しめないこと。
それに尽きるように思うのは、
間違っているだろうか?
突然、そんな感慨が湧いたので
つらつら、思い出話を書いてみました。
ここまで執筆時間30分。
現在7時40分。
さあ走るか。
「アムロ、行きまーす!」
今日も良い一日を。
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