普通じゃないのはいけないことか?
ちょっと前の、
NHKあさイチの不登校の特集。
ゲストの宮本亜門さんは、
不登校だった時期がある人だ。
印象的だったのは、母親が言う
「普通は学校に行くもの」
という「普通」に激しく反応した、
というところ。
普通ってなんだよ?
僕は普通じゃないのかよ?
それが良くないってこと?
ってガーッとシャッターが
降りてしまった、と。
「子どもの自由に任せていいのか?
このままだと将来家庭内暴力や
引きこもりになりそうで心配です」
という視聴者からの質問にも、
こう答えていたのがすごく響いた。
「どうして将来、家庭内暴力に
なるって思うんですか?」
その通りだと思った。
宮本さんは言う。
「親は将来の話ばかりする。
それが辛かった」
先の見通しが立たないのは心配だ。
でも、将来が暗いものだと
決めつける必要が本当にあるのか?
それは、冷静に考えるようにしたい。
そう思った。
僕が「男の日傘」にこだわるのは
宮本さんの話の後で持ち出すのは
いささか気が引けるんだけど、
僕が折に触れて
「男の日傘は気持ち悪くない」
と繰り返してきたのは、
この「普通」「常識」という奴に対して
モノ申したかったからだと、
宮本さんの発言を聞いて思った。
Google Search Console
というツールがある。
どんなキーワードで
サイトが検索をされているのかが
分かるツールだ。
それによると、
僕のこのページ(不登校という名のギフト)
の検索ワードのNo.1は現状、
「男 日傘 気持ち悪い」だ。
そのワードで僕の日傘記事に
たどり着いた人たちには、
きっと勇気を持ってもらえたんじゃないか、
とは思う。
一方で、それだけたくさんの人が
男子の日傘について胸を張れない、
自信を持てないでいる、
ということでもあると思う。
この「普通」って奴が問題
それは僕らを萎縮させる同調圧力であり、
逸脱した場合には、
未来に罰が待つ恐ろしい不文律として
僕らを縛っている。
これまで意識してきたことはないのだけど、
今後「普通」という言葉を使うのは
出来るだけやめようと思う。
この言葉、便利なようでいて、
やっかいな呪いがこもっている。
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