「寄り添って見守りましょう」はソフト過ぎて伝わりにくい

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確か前にも似たことを書いた気がする。

でも誰もが僕のブログを
毎日丹念に読むわけじゃない。

そうですよね?

なのでしつこく同じことを書く。

大切なのは――。

待つことをやめることなんじゃないかな、
という話だ。

「寄り添って見守りましょう」

子どもが不登校になる。

すると、そういうワードがわんわん、
嫌でも親の耳に入ってくる。

でも自分も経験があるからわかる。

「いや、そんな甘いこと
やってるだけで本当にいいの?
親としてできること、
もっと他にあるんじゃないの?
もしかしてあーた、よくわからないからって、
テキトーなこと言ってんじゃない?
っていうかこれだけ沢山不登校の子がいて、
専門家のノウハウってそんなもんなの?」

などなど。

親の心の中には不信が渦巻く。
僕もそうだった。

でも今にして思う。

やっぱり親が子どもが動き出すのを
「待ってる」うちは、残念ながら
子どもは動き出さないよって。

その「まだかまだか」オーラが
子どもをある意味、蝕んでいる。

「じゃあどうすればいいの?」

と親はヤケになって詰めよる。
僕もそうだった。

そして息子の不登校から10年経った
今の僕の言い方は割と乱暴だ。

「ハンドルから両手離してしまえばいい」
「ポジティブに諦めて放っておく」

で、それをもっと
マイルドに言い換えるとどうなるか?

「寄り添って見守りましょう」

という振り出しに戻るんだよな。笑

でもね、その言い方は
あまりにもソフト過ぎて伝わりにくい。

厳しさや本質を覆い隠してしまっている。

だからあえてもっとストレートに言う。

  1. 親がなんとかしようと思うのをやめる
  2. 子どもはいつか必ず動き出すと信じる
  3. ただし親が待ってる限りは動き出さない
  4. そのことをとことん銘記する
  5. 要するに腹を括って放っておけと
  6. 覚悟の問題だと割り切る
  7. 試されてるのは親のほうだ
  8. 親のネガティブオーラが子どもの回復を遅らせる
  9. だけど不安や心配をなくせないのもまた親の性
  10. だから情報とって同じ立場の人とつながれ

という感じかな?

今日は「厳しめ純ちゃん」なのでした。笑

でもね、かれこれもう10年間ずっと、
「寄り添い見守ってる」けどね、
(そして今もまだ現役ですが)

厳しい話だとつくづく感じる。

んー、試されるよね親は。本当に。

がんばりましょう、みなさん。

長い目で見ればきっと大丈夫だから。

まず親が幸せになる!

良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在19歳・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。