どこかで意味が変わってしまっていた

どこかで意味が変わってしまっていた
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「そんなの聞いてない」
「依頼がないからやってません」
「それって私の仕事ですか?」

こういう類の言葉を聞くのが嫌だった。

ずっと小さな会社でマーケ畑でやってきた。
販促や広報・PRも兼任してきた。

大きく言うなら、企業活動を通じて
ブランドの価値を伝えていく仕事だ。

そのうち
「言っても伝わらなければ意味なし」
をモットーにするようになった。

鳴かぬなら 鳴かせてみせようホトトギス、
というか。

ブランドからユーザーへのメッセージが
伝わらない一方通行で
自己満足なものになっていないかどうか?

それ以前に、まず社内で。

聞いてないとか、
依頼がないからやらないとか、
それ自分の仕事ですかとか、

そんな言葉が相手から出ないように
しっかり伝えよう。

伝わらないなら、
伝わるように最大限、工夫をしよう。
その努力から始めよう。
謙虚さを忘れないようにしよう。

ずっとそう思ってやってきた。

――つもりだった。

でもあるとき僕はふと
「鳴かぬなら 自分が鳴こうホトトギス」
になってることに気がついた。

人のせいにしない。
伝わらないなら、伝え方を工夫する。

そう思っていたのだけど、気がつけば
周りが動かないから自分が動く、
そればっかりになっていた。

悪く言えば――

彼・彼女らには言っても伝わらないし、
助けてもくれない。いつも見てるだけだ。

そんな人たちに頼んでも仕方ない。

でもやらなきゃいけないことが
煙のように消える訳でもない。

誰かがやる必要がある。だから自分がやる。

そして助けようともしてくれない彼らを
(今にして思えば)心の底で恨んでいた。

こんなに自分は懸命にやっているのに、と。

意味がないから、伝えることもしなかった。

あんまり後ろ向きなことは書きたくない、
と思って日々このブログを書いてるけど、

「言っても伝わらなければ意味なし」は、
どこかで意味が変わってしまっていた。

記事の主旨はこの僕の話とは違うのだけど、
「自責思考」という言葉になんだか、
かつての自分の傷が盛大に疼いた。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。