昨日書いた『学校へ行かない君へ』の
揺らがない、ブレない、それがアカンのです。頑丈そうに見えて免震構造がない
という玄侑宗久さんの言葉。
昨日、話していたらうちの奥さんが
「これって親業のトマス・ゴードンも
同じようなことを言っているよね」
と言う。
親は一貫して一貫していないし、
一貫していなくていい、と。
言われてみれば確かにそうだ。
ゴードンはこう言っている。
よい親になるのに、つねに一貫した感情や態度を子供に示す必要もない。本当はそう思っていないのに、子供に思いやりを示し、相手を受容(受け入れる)してやるふりをする必要もない。自分の子供たち全員に対し、同じように受容し、同じ愛情をもっているふりをする必要もない。また、夫婦で統一戦線をはって子供たちを相手にする必要もない。
自分が受容できるかできないか
親業では最初に「行動の四角形」を学ぶ。
相手の行動を自分が受け入れられるか、
受け入れられないか。
まずそれを基準にする。
そして受け入れられるかどうかは
相手の状況や、自分の状況、
そして環境によっても変化する。
そして、変化していい。
(ここがポイントだ)
昨日は受け入れられたことが、
今日受け入れられない。
そういうことだって、ある。
にんげんだもの(相田みつを)。
ブレていい。
親だから、という理由で
一貫していなくたっていい。
しつけとか、教育とか、親の威厳とか、
そういう物差しで考えなくていい。
ただ目の前の出来事を
受け入れられるか、そうでないか。
そこからスタートする。
親として、ではなく一人の人間として。
取るべき対応が明快
そして相手が問題を持っているときは
「能動的な聞き方」、
逆に自分が問題を持っていて
受け入れられないときは
「わたしメッセージ」を使う。
取るべき対応が明快で、
そのやり方もシンプルだ。
「愛情を込めて接しましょう」
「親の愛はふとしたことでも伝わります」
こういった一般論・抽象論や
心構えの類いが一切ない。
すがすがしいほど、ない。笑
ひとつひとつが具体的な
コミュニケーションのツールで、
実にわかりやすいし、実践的だ。
この辺り、
とってもアメリカンで、僕は大好きだ。
アドラーもいいけど、
僕は親業のゴードンの方が断然いい。
なぜなら「哲学」じゃなくて
愛と平和の「メソッド」だから。
という次第で、
今日も例によって例のごとく、
親業礼賛なのでした。笑
親業について詳しくはこちら
https://ftk-gift.com/category/parparent-effectiveness-training/
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こんにちは。
本当にそう思います。
親だからと言って、子どもに対して一貫しなくても
その事で、色々と学びになるはずだと思います。
メグさん、コメントありがとうございます。
親だから、ということで知らず知らずのうちに一貫しようとする人って実は結構多いんじゃないかなと思います(僕もかつてそうでした)。
そういう人にトマス・ゴードンの「親業」のことを知ってもらえたら、と思っています。