里奈さんは小学校時代から
みんなの先頭に立って
引っ張っていくタイプだった。
もちろん学級委員も務めた。
「これまでに出会った中で一番優秀な生徒」
と先生には絶賛された。
中学では吹奏楽部に入部。
生徒会に入って学校行事をリードし、
部活が休みの土日は塾に通った。
もちろん成績は常にトップクラスだ。
ところが。
中学3年の夏休み明けから
訳もなく涙が出るようになる。
学校を休むようになり、
教室で過呼吸を起こした。
秋にお母さんに連れられて
思春期外来を受診した。
「もう頑張らなくていいよ。
無理して行く必要はない、
ゆっくり休んだほうがいいよ」
と主治医は「型通り」の対応をした。
それまで黙っていた里奈さんは
ここで敢然と主治医に言い返した。
先生は何もわかってない。
私はがんばらないと
生きてる価値がないのだ、と。
私は学校も勉強も休んじゃダメなんだ、と。
そう訴えて大声で泣き出した――。
なるほどなあ、と思った。
部活も生徒会も熱心で成績も優秀、
ずっと褒められてきた。
「がんばること」
に自分の存在意義を見出してきた。
だから「休んでいい」を受け入れると、
守ってきた存在意義を失うことになる。
「休んでいい」の一言に
救われる思いをする子は大勢いる。
一方で「休んでいい」が逆に作用する
里奈さんのような子もいる。
このことは、多くの人がもっとちゃんと
知っておいたほうがいいんじゃないかな、
と思った。
記事の最後の一文がとても響いた。
がんばりにとらわれている子どもたちは、これまで、何かすることでまわりの大人に評価されてきたのでしょう。子どもたちには、何もしなくても存在しているだけで価値があり、尊いのだということを、大人たちがしっかりと認めてあげることが大切です。目の前の思春期の子どもたちが、何もできない赤ちゃんだった頃を思い出して。
頑張らなくても、何もしなくても
存在しているだけで価値がある。
尊いのだと認めること。
それは何もできない赤ちゃんだった頃を
思い出せば――確かにその通りだ。
生まれてきてくれたことを、
ただただ感謝した日。
僕にもあった。
あれは西暦2005年の冬。
よく晴れた寒い日の、
西日が差す午後のことだった。
でもあの日から、気づけばどんどん、
いろんな期待を勝手に
子どもにしてしまっている。
そのことに、気づければ。
そしてそこに立ち戻ることができれば。
親もきっと、もっと
楽になれるんじゃないかしらん?
はい、ブーメランで自分に言ってますよ。
勝手な期待がまじっているときには
西日が差すあの午後のことを思い出そう。
そこに立ち戻ろう。
今日も良い1日を。
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