そのつもりはなくても、結果的に親の価値観を押し付けてしまっていたこと

そのつもりはなかったけど、結果的に

振り返ってみて、よくなかったなあと思った出来事の紹介。

小学4年生の算数の復習を始めた息子

小学校3年生で不登校になって、その後デモクラティックスクールへ通って5年目の忍介。

デモクラティックスクールは、クラスも授業もテストも先生も学年もない学校だ。
「人は本当に学びたいと思ったときに一番よく学ぶ」という考え方を大切にしているから、いわゆる小学校や中学校にあるようなカリキュラムは何もない。

逆に言うと、誰かが何かを教えてくれることは一切ない。
1日中、ゲームをしていても誰にも怒られない。
勉強でもゲームでも、何をして過ごすかも含めて、自由。全てのことを生徒自身が決める。そういう学校だ。

忍介通信で書いたように、最初は多少は勉強していたみたいだけど、忍介に関して言えば今ではスクールでも家でもずっとゲームで、勉強はしていない。

ところが。
その彼が最近勉強を始めている。小学4年生の筆算の割り算を。

一昨日、家に帰ったら忍介が「お父さん、ひとつ教えて欲しいんだけど」と聞いてきた。
「ねえ、5割る2って2.5だよね?」と13歳の彼。
「そうだね」と46歳の僕。
「なんで2余り1っていう答えと、2.5っていう答えがあるの?」

筆算の割り算に意味があるか?

どうやらスクールで5割る2のことを「2余り1」って胸張って答えて、みんなに笑われたみたいだ。

「2つ考え方があるんだよ。余りを言う考え方と、あくまでも割っていく考え方と」
「どういうこと?」
「小学校では余りいくつ、みたいに教えるけどさ。実際、余りで言ったりすることって少ないんだよ。だいいち、筆算なんて大人はしないし。計算機使えばいいんだよ。アメリカの学校では計算機使うらしいぜ」

小学校4年生のとき。
僕は本当に本当に、筆算の割り算が嫌いだった。

休みの日に親戚の家に遊びに行って、でも僕はテンコ盛りのドリルの宿題が終わってなくて、その日のうちにやらなければいかなかった。
従兄弟たちが楽しそうに遊んでいる中、やってもやっても終わらない、まったく面白くも何ともない筆算をひとりで続けた。

誰がこんなクソつまらないものを考え出したんだろう?と思った。
こんな作業に何の意味があるんだろう?と呪った。

彼は「僕の考え方」でなく「筆算」を教えてもらいたがっていた

でも、後でうちの奥さんから聞いた。
その日僕が寝たあと、遅くに帰ってきたうちの奥さんを忍介がつかまえて、僕にしたのと同じ質問をしたそうで。

うちの奥さんが、小数点以下を計算する筆算のやり方を教えたら、大変喜んで、そして言ったらしい。
「お母さんの方が、お父さんよりも頭いいなあ」と。

確かに!
僕は57割る19を、暗算出来なかった前科もある。
え、答え3? ああ、そうか、確かにね、って。

価値観の押し付けになっていた

話が逸れてしまった。
言いたいのは、僕がいかに算数が苦手かということじゃなくて。

自分が筆算を憎むあまり、そんなの計算機でやりゃいいんだ、って僕の考え方を押しつけてしまっていたなあ、ということだ。

彼はただただ、シンプルに知りたかったのだ。
小数点以下を計算する筆算のやり方を。

それを僕が自分のフィルターで「筆算なんて無駄だ」と、本来の彼の興味とは関係ない計算機を持ち出してしまっていた。

そのつもりはなかったけど、結果的に自分の価値観を押し付けてしまっていた、という反省を込めて。
以後、気をつけようと思った次第です。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。