「非常時」の不謹慎狩り
戦時下、焼け野原の東京。
庭の蓄音機で音楽を聴いていると、
自警団のおじさんが
血相を変えて注意してくる。
「こらっ、敵国の音楽を聴くとは何事か!」
「ベートーベンは同盟国ドイツの人ですよ」
難詰してやろうと意気込んでいたのに、
あてが外れたおじさん。
でも次にはこう絡んでくる。
「でもこんな音量で音楽かけて、
敵機に聞こえたらどうするんだ?」
9000メートル上空のB29に聞こえる、
ってか?
まさにコントだ。
この手の「非常時の不謹慎狩り」は
昔からあった、という話。
興味深く読んだ。
太宰が向けた「世間」への疑問
記事の中で「世間」というものを
取り上げているのだけど、
引用されていた太宰治が印象的だった。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)出典:太宰治『人間失格・桜桃』角川文庫
「世間」ってなんだろう?
基準から外れると、許さない。
ひどい目に合わす。葬り去る。
「世間」というおっかない、
目に見えない何か。
それを隠れ蓑にして他人を攻撃する。
その心理の源は、こんな感じだろうか?
「自分は色々我慢している。
やりたくてもできないでいることも多い。
なのに世間のその暗黙のルールを
お前はハナから守ろうとしていない。
だから許せない」
嫌だなあ、と思うし、残念だ。
でもこの手の言説、いまだに
結構身近にあるなあ、とも…。
「世間」もそうだけど、
「普通」とか「常識」とか、
そういう類の観点を乱用するのも、
良くないかも知れない。
みんないろいろ、ある。
十把一絡げにするのはよくない。
「非常時」を振りかざすのもおかしい。
そんなこんなを思った。
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