昨日に引き続き
『呪いの言葉の解きかた』を読んで
印象に残った部分を紹介。
その人の「今」を評価する
「肯定と期待の違い」が良かった。
肯定的に認めるとは、その人の「今」を評価すること。期待をかけるとは、その人の「今」の、「その先」を評価すること。
期待されてがんばる人もいるが、期待されるとその期待につぶされる人もいる。期待とは、「今」のままでは不十分だと、「今」を否定することでもある。
5年前、忍介が不登校になった。
デモクラティックスクールに出会い、通い、
そして今年の春からは家で過ごしている。
14歳。世間一般で言う中学三年の受験生だ。
そういう中で少しずつ思うようになった。
「期待」は親の勝手な思いじゃないか、と。
だから、
期待とは、「今」のままでは不十分だと、「今」を否定することでもある。
この言葉は、いまの僕にすごく響いた。
呪いの言葉だと認識することが第一歩
もうひとつ――。
呪いの言葉、がどういうものについてかは
昨日の記事を読んでいただきたいのだけど、
「学校に行かないと将来
ロクなことにならない」
みたいな言葉もある意味、
呪いの言葉に近いものがあると思う。
「呪いの言葉」は、いとも簡単に、私たちを縛ってしまう。その言葉の背後に、私たちは「世間の目」を感じて、あるいは、迎えたくない破局を想像して、怯えてしまう。そういう効果をねらって、力を持つ者は、言葉によって私たちを支配しようとする。
ならば、そういう言葉を「呪いの言葉」と認識することが、まずは第一歩だ。「あなたは私を縛ろうとしているのですね」と。
そうなのだ。
それが「呪い」なんだと
認識することによって、
僕らは呪縛から逃れることができる。
そこに「世間の目」や
迎えたくない破局があるとき、
どうしても僕らは怯えてしまう。
僕らを縛ろうとする何モノか。そこに
目をこらすことが大事だなあ、と。
思った次第です。
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