心配は100%、無駄なんだよね

 

 

あえて身も蓋もないことを言いますが――。

結局のところ。

心配は100%、無駄なんだよね。

残念ながら。

「この子の将来は一体どうなるの?」

昼夜逆転のゲーム三昧。

ずっと部屋にこもりきりの毎日。
もちろん家族との会話はゼロだ。

家の中でも常にマスクと前髪と
パーカーのフードで顔を隠している。

何を考えているのかどころか、
どんな表情なのかさえもわからない。

百歩譲ったとして。

学校に行かない、のはまだいい。

でもこのまま貴重な10代の時間を
部屋の中でゲーム三昧で過ごしていて
何か生産性や社会性が身に付くのか?

この先、何十年もひきこもってしまったら、
一体どうしたらいいのだろう?

どこで何を間違えたのだろう?
立ち直るきっかけはどこにあるのか?

などなど。

心配の種は尽きることがない。

なぜか?

「親だもの!」

その気持ち、よくわかります。
僕もかつてはそんなふうに感じてました。

でも冒頭に戻ります。

あえて身も蓋もないことを言いますが――。

結局のところ。

心配は100%、無駄なんだよね。

残念ながら。

今の段階で親にできることはない。

そうですよね?

あえて言うなら、美味しいご飯と
あったかい布団の保証くらいだ。

もうね、
心配するなら祈れ、という話なのだ。

ただただ祈るしかない。

親がずっと24時間心配し続けていて、
いいことなんて実際なんもない。

であるならば。

せめて自分の人生楽しめ、
という境地に至ったほうが建設的だ。

そう、まず親が幸せになる。

幸せは歩いてこない
だから歩いてゆくんだね
一日一歩、三日で三歩
三歩進んで二歩下がる♪

気づけばそういう境地になれていた。

矢印が子どものほうではなく、
完全に自分のほうに向くようになった。

もちろん最初は辛い。
自分に矢印を向けるのは辛い。

でも、なんで自分は子どものことを
こんなに心配してしまうのか?

その不安の根っこに真剣に向き合うと、
自分の信念や価値観が揺らいでくる。

信念や価値観を変えるのは苦しい。

ある意味、今までの自分を
否定するというプロセスに至る。

自分を否定するのは辛い。

苦しいし、悲しい。切ないし、痛い。

けれども、一旦真剣に向き合って
丸ごと受け入れて認めてしまえば
長い目で見るとラクになれた。

そう、ラクになれた。

なあんて。

この10年の感慨を改めてつらつらと。

今日も良い一日を。

プロフィール写真

 

記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。

更新の励みになります。バナーのクリックお願いします!

にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
Sponsored Link



まず親が幸せになる|びーんずネット

不登校のセミナーやカウンセリング、インタビュー事例集をお届けする活動を夫婦でしています。ぜひご覧ください。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。