早起きしすぎたときこそ積ん読を読む好機!
今朝読んだのはこの本だ。
小・中・高に通わずに大学へ行った私が伝えたい
不登校になって伸びた7つの能力
読みながらページの端を折る。
折りすぎて、気づけば
ほぼ全ページ折っていた。
折る意味まったく無い状態。笑
なので途中から
折るページを厳選することにした。
内容は本当にタイトルの通りなんだけど、
やっぱり僕は親の立場からの、
よっぴーさんの言葉が響く箇所が多かった。
疑問符を自分に向けてみる
子どもが学校に行かなくなったとき、
親はこう考える。
「この子はなんで行けないんだろう?」と。
そこには学校に行くのは当然、
という前提がある。
子どもさんが「不登校」になり、なんとかしたいと思われるのであれば、まずはこの前提をはずします。でなければ、子どもさんの声は聞けません。そしてなによりあなた自身の声が、あなた自身に聞こえません。
前提のはずし方は「なんで行けないんだろう、この子は?」を、「なんで行ってほしいと思うんだろう、わたしは?」として、疑問符を自分に向けること。
(中略)
ちなみにこの疑問符を自分に向ける自問の仕方は、「なんでお母さんの言うことが聞けないの?」→「なんでわたしの言うことを聞かせたいんだろう?」といった具合に、あらゆる場面で使えます。
まさにこれは、本当にその通りで。
息子が不登校になったとき――。
「なんで行けないのか?」
ばかり当初はずっと考えていた。
だから理由を聞こうとしたし、
対策を講じようとした。
でも何ヶ月もニッチもサッチも行かなくて、
とうとう息子の前で派手に夫婦喧嘩もした。
翌朝、うちの奥さんから田中茂樹先生の
「子どもを信じること」を手渡された。
読んで、ベクトルがガラっと変わった。
そもそも俺はなんで忍介に
学校に行ってほしいんだろう?と。
こういう自問、大事だよね、本当に。
そこが出発点だった気がする。
読んでその経験を思い出した。
不登校のアタフタこそが、ギフト
紹介したい箇所は他にも数多かれど、、、
詳細はぜひ本を読んでいただくことにして。
「不登校のアタフタこそがギフトだ」
とよっぴーさんは言う。
沖縄に行くには泳いで行くしかない
と思い込んでいた。
泳げないから無理だ、と諦めていた。
でも子どものおかげで
飛行機や船があると知れた。
泳げなくても沖縄に行けるように、
学校に行かなくても未来はある、と。
そして親が悩んでも
子どもは幸せになれない、とも。
不登校のアタフタを経験してきた身には、
本当に沁みる一冊だった。
最後に、個人的に一番
じーんと来た箇所を引用したい。
学校に行かなくなったそのあとの人生を卑下しないで、存分に楽しんでいける人になるかどうかは親次第だと、わたしは思っています。
子どもが学校に行こうが行かなかろうが、勉強をしようがしなかろうが、規則正しい生活をしようが不規則だろうが、何を好もうが、どのような職業につこうが、成功しようがしなかろうが、そんなことは関係ない。子どもがどのように生きていこうが関係ない。ただただ、わたしはあなたが好きなんです。
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自分を卑下するか自分のありのままを認められるかは周りの大人次第ですもんね。
学校に行けたとか行けないとかで一喜一憂しないでいたいと思いました。
いつもありがとうございます^ ^
suzzyさん、こちらこそ、いつもありがとうございます。
本当にたくさん、響くところのある本でした。