JAFの会報誌「ジャフメイト」。
今月号の冒頭のコラム
「幸せって何だろう」
は脚本家の北川悦吏子さんで、
「しあわせの呪縛」
という内容が良かった。
しあわせってなんだろう?
北川さんが実際に口に出して
「しあわせ〜」というシーンは、
仕事後の風呂上がりのビールや、
友人とシャンパンで乾杯するときだ。
では、と北川さんは問う。
たとえばこんな場面ではどうだろう?
・長年かけたプロジェクトが決まった時
・赤ん坊を産んだ瞬間
大きく感情は動くだろう。
でも人はそういうシーンで
「ああ、しあわせー!」
とは叫ばないんじゃないか、と。
みな幸せになるために生きていると思うのだが(これに異論はあまりなかろう)、さて、しあわせを感じる時というのは、美味しいものを食べた時とか、機嫌のいい日にふわりといい風が吹いた瞬間とか、そんなものではないだろうか?
「しあわせ」という言葉に大仰な意味を持たせすぎでは? しあわせの呪縛……。
もしかして、しあわせは目指すものではないんじゃないか、という気がしてくる。
なんとか日々を生きてれば、それなりに人生を拗ねずに真摯に生きていれば、自然にくっついて来るのではないか? おまけみたいに。
なんとか日々を生きていれば。
それなりに人生を拗ねずに、
真摯に生きていれば。
幸せはおまけみたいに
自然にくっついてくるもの――。
この考え方が素敵だなあと。
あと「機嫌のいい日にふわりと吹くいい風」
という表現も、とびきり素敵だ。
ミソは「拗ねずに真摯に」という所かな?
拗ねたり、真摯じゃなかったり、
よくしてるよな、俺っち……。
さあ。
今日も風呂上がりのビールめがけて行くぞ!
良い1日を。
P.S.
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