人生変わる経験かも

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不登校とか学校復帰とか、
教育問題とかなんだとかこうだとか。

実はあんまり僕には重要じゃないんだよね。

大切なのは、子どもの進路なんかじゃなく。

「自分のありよう」なんだよね。

それを教えてくれた
一つの大きなきっかけが、
子どもの不登校という事象であって。

「学校は行くもんだ」
「会社で働くもんだ」
「親とはこうあるべきだ」

そういう強固な思い込みを壊してくれた。
子どもが学校に行かない、
という行動を取ってくれたおかげで。

もちろん、最初から
すんなりそうなった訳じゃない。

なんとか学校に戻そうと焦りまくった。
そしてにっちもさっちも行かなくなった。

途方に暮れた。
派手に夫婦喧嘩もした。

そして勧められて田中茂樹先生の
『子どもを信じること』を読んだとき。

「読むのが苦しい」
とうちの奥さんに言った。

なぜか?

自分のそれまでの子育てが真っ向から
否定されている気がしたからだ。

それくらい、自分の中にあった
「学校は行くもんだ」は根強かった。

でも行かないなら行かない、
さてじゃあどうする?となって、
ギュッとハンドルを強く握りしめていた
その力をゆるめたとき。

気づけば急に、どこか
少し楽になった感覚もあった。

そうしてデモクラティックスクールに
通うようになった息子がまた、
そこでも何度も「不登校」にもなって。

何年もそういうのを繰り返して、
「あ、また行かないのね」
くらいの受け止め方になってきた頃。

「じゃあ、お前はどうなのか?」

と感じるようになった。

職場でうまく自分の力を出し切れていない。
何年もそう感じているところだった。

「会社で働くもんだ」

ずっとずっとそう思って生きてきた。

雪が降ろうが槍が降ろうが電車止まろうが、
朝9時にはオフィスに行って働き始める。

生きる糧は銀行振込で月末にもらうもの。
月曜から金曜まで大人は時間通り働くんだ。

頭からそう思い込んでいた。

「お父さん、本当にそれでいいの?」

と、実際に息子に言われたことはない。

でもそういうシンプルで根源的な問いが
頻繁に頭に浮かぶようになって。

気づけば会社辞めることにした。
後先なんて、まったく何も考えずに。

「文章書くの得意だから、
WEBライターでもやろうかな」

なあんて、世の中ナメまくってた。

実際に一度やってみて痛感した。

「お、お、俺には出来ない……」

結構な絶望感だった。

いかん、話が暗くなった。
ここは黒歴史なので端折る。笑

そのときちょうどうちの奥さんが始めた
びーんずネットの活動を手伝ってみて。

「あ、これを仕事にしたい」と思った。

でもそんな「仕事」は簡単に生まれない。
どこかから助成金もらえるわけでもない。
ただし生きるためにお金は絶対に必要だ。
文字通り無我夢中で必死に七転八倒して、

――というのがここ6年間の歩みだ。

何が言いたいか?

10年前のちょうど今頃。

小学3年生だった息子が
不登校になって3ヶ月目。

3学期から行かせようと躍起になってた。

今朝の窓の外の様子が
ちょうどその頃みたいで。

思うままをツラツラ書いてみました。

今もし10年前の僕のように、
「学校は行くもんだ」
の呪縛に囚われて悩んでいる人がいたら。

あえて言いたいかな。

10年後にはお子さんではなく、
あなたの人生の方が変わる。

そんな経験になるかも知れませんよと。

「悪いことだけじゃない」

そう思います。

ポエムご清聴、ありがとうございました。

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在19歳・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。