正直「嫌な予感」しかなかった。
第1戦をホーム等々力で1-0で折り返した、
JリーグYBCルヴァンカップ準々決勝第2戦。
アウェイ甲府のスタジアムに乗り込んだ
川崎サポーターでゴール裏は埋まった。
もちろん純ちゃんも声を枯らして応援した。
終始フロンターレがボールは握っている。
でもヴァンフォーレのガチガチの堅守に、
ボールの出しどころがぜんぜんない。
そして前半31分に痛恨の失点。
第1戦のアドバンテージがパーになった。
最初は声を合わせていたゴール裏も、
徐々に不協和音が増えてくる。
「周りがもっと動いてスペース作れよ」
「足使え、足、足、足!」
「走り負けてんじゃねーよ」
などなど。
いや、そう言いたい気持ちはよくわかる。
でも、個々がゴール裏から口々に色々
いくら叫んでも選手たちに届かないよね。
それなら歌って手拍子した方がいいよね。
ただ僕の前の列右斜めにいた御仁は、
ちょっと不思議な応援をするお方だった。
無言でピッチに向かって
ずっと「指揮」しているのだ。
フロンターレがボールを奪う。
すると彼はオーケストラの指揮者よろしく
両手を2度ほど自分の胸に寄せるのだ。
「ラインを押し上げろ」
という意味だ。
そしてサイドにスペースがあると、さっと
右手で選手たちにそのスペースを指し示す。
「そこへボールを出せ」
という意味だ。
いや、そう指したい気持ちはよくわかる。
僕も試合中、たいていは
頭の中で同じことを思っている。
でも指揮者のように選手に向かって実際に
ずっとゼスチャー続ける人は初めて見た。
家長昭博にボールが渡る。
ファンウェルメスケルケン際が
タッチラインを駆け上がる。
すかさずカラヤン氏がキュッと左を指す。
まったく同じことを僕も思う。
「そこへ出せ、家長!」と。
でも家長はボールを出さない。
ターンして保持し、チャンスの芽は消える。
カラヤン氏と僕は同時に天を仰ぐ。
そんなこんな――。
「次の一点で全てが決まる」
大声援に後押しされたホームチームの
鋭いカウンターが実る予感が満ちていた。
「あっち側」にボールが行ってしまうと
もう生きた心地がしない。
フロンターレの死亡フラグだけが
どんどん立っていく。
「今日は、あかん日だ……」
半ばそう覚悟を決めていた。
だからこそ、後半アディショナルタイムの
遠野大弥のダイビングヘッドに絶叫した。
目の前に飛び込んできた劇的な決勝ゴール。
いやあ、シビれた。
何が言いたいか?
僕もカラヤン氏も俯瞰してるから
ボールの出しどころが見えるんだよね。
スタンドからいわば3次元で見てる。
でもピッチに立っている選手たちは違う。
平面、つまり2次元だ。
上から見てる図とはぜんぜん違う。
子どもの不登校もそうなんだよね。
親が覚醒してしまえば、3次元で見える。
「ああ、こういう道筋もあるよなあ」と。
でも悩みの渦中にあるときは、
どうしてもその道筋が見えない。
だから僕もカラヤン氏のように、
無言で指揮していたいと思った。
学校が苦手な子どもと過ごしている
お父さんお母さんたちのために。
なかなか気づいてもらえないとは思う。
でもね、ずっと黙って手は動かす。
「大丈夫マイフレンド」
っていう考え方もあるよ、と。
いやあ、我ながらなんて強引な展開!笑
今日も良い1日を。
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