結局のところ。
「子どもは弱く、流されやすい」
「だからしっかり導かないと」
って心の底では思ってるんだよね。
親も先生も、文科省も社会全体も。
好きにしていい。
自由にしていい。
そういう「許可」を出していない。
「放っておくと、子どもは
必ず安きに流れるから」
そんな強固な潜在意識が根底にある。
だから不登校のことも心配になる。
このまま好きにしてていいの?
昼夜逆転を許して本当に大丈夫?
誰とも話さず一日中ゲームばかり。
「一体それでどうやって
社会性が身につくというのか?」
ってね。
ひきこもりへ一直線じゃないかと。
よくわかります。
やっぱり僕もかつてはそうだったから。
で、話は最初に戻るのだけれど。
その不安や心配の根っこにあるもの。
それって結局これなんだよね。
「子どもは弱く、流されやすい」
「だからしっかり導かないと」
この、固定観念。
ココを問い直してみることこそが、
一番大事なことなんじゃないかなと。
本当に子どもは弱いのか?
安きに流されやすいのか?
将来のことを自分で考えられないのか?
大人が全部導く必要があるのか?
結局のところ。
「あなたは自分の子どもをまったく
信用していないだけですよね?」
という厳しい言い方になるのだけれど。
でもそういうことなんだよね。
まったく人のことを信用していない。
自戒を込めて言うのですが、
ある意味あなたは「ひどい人」なんです。
だから一回反転させてみませんか?
子どもは弱く、流されやすいのではない。
大人がしっかり導く必要なんてない。
自分で考えられる、立派な存在なんだと。
今は確かに、昼夜逆転のゲーム三昧だ。
将来のことなんてからきし
1ミリも考えてないように見える。
「このまま行けばお先真っ暗……」
それを反転させてみませんか?
「今のままで大丈夫なんだ」と。
もちろん根拠なんてない。
でも根拠なくたってそう言い切ってみる。
要するに、、、
試されてるんだよね、俺たち大人が。
子どもの不登校って。
すごく難しく、深く、厳しい話なんだよね。
無理に解決しようとしないこと。
それが一番の解決、という禅問答。
いや、冗談ではなく本当に。
価値観を拡げるための、
最良のワークでもある。
あと「強さ」も求められる。
不安定であり続けることに負けない。
どこにも正解がないことに負けない。
そういう「折れない強さ」だ。
強くなりましょう。
日々、少しずつでいいから――。
今日も良い1日を。
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