求む!新しい時代の新しいコトバ

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昨日は小学校の入学式だったみたいで、着飾ったママやパパと一緒に、ピカピカのランドセル背負った子を多数、見かけた。

7年前、忍介もそうだった。
僕は入学式には付き添わなかったけど、うちの奥さんが撮った写真が残っている。
「入学式」と書かれた正門の看板の前で、ブレザーに蝶ネクタイをしてランドセルを背負った忍介。
眉毛の上がぼっこり凹んでいて、不安そうな顔でうつむき加減にカメラを見つめている。

 

3年生で忍介が不登校になった後、うちの奥さんと何度かこの写真のことで話し合った。すでにこの時から学校というものに対して不安を感じていたんじゃないか、と。
そんなこんなを思い出した。

メニューはひとつだけで十分だろうか?

例えが乱暴だ、っていうのは分かってて言うんだけど。

突然ですが質問です。
例えば、小学校も中学校も無償じゃなくなって、年間90万円授業料がかかります、というように世の中が変わったとしたら、
(もちろんそのぶん、セットで税金が安くなるという前提なんだけど)

あなたはその金額を払って、子どもに今の学校に通って欲しいと思いますか?

念のため言うと、今の教育を否定したい訳じゃない。
僕が提起したいのは、身銭を切る感覚を持ち出してみることで、学校や教育について、普段とはちょっと違う意識や見方で考えられるんじゃないか、ということだ。

90万円。—どうですか?

黒板があって、同じ年齢の子が集まって、同じ時間・同じ空間・同じ教科書で、ひとつの方向を向いて、ひとりの先生が説明する。

それはそれで、もちろんあっていい。
全然いい。
ただ、本当に”全員がそうでなければいけない”だろうか?

 

お店のメニューは1つだけです。
それで十分だろうか?
黒板スタイル以外の選択肢も、あっていいんじゃないか?
年間90万円の使い途としては。
明治維新から150年経った今は。
そう思いませんか?

 

ちなみに文科省の資料(平成27年度地方教育費調査)によれば、在学者一人当たりの学校教育費はそれぐらいだそうだ(小学校94万、中学校107万3千円)。

新しい時代の新しい言葉を!

プロフィールのページにも書いたけど(ブログ移設にあたってプロフィールページを追加しました)、

黒板スタイル一択である限り、沢山の子どもたちが不登校になる現状は変わらないだろうし、それについて苦しむ親子はなくならないと思う。

あともうひとつ、

「不登校」
「登校しぶり」

といった言葉も、別の言い回しに変えられないものだろうか?

僕らが子どもだった頃の「登校拒否」に比べればマシになったとは思うけど、それでもこれらの言葉、「登校すること」が前提になっているからこそ成立している言葉だと思う。

言いながらまったく妙案が無いのだけど、どなたか良い案があれば、ぜひぜひお知らせください。
求む!新しい時代の新しいコトバ。

***

子どもも親も、不登校であることを恥じたり、罪悪感を持つ必要なんてない。
でもそのためには、色んなことを変える必要がある。

プロフィール写真

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。