誰かに何かを習うことが好きじゃなかった

誰かに何かを習うことが好きじゃなかった

小学生の時は、ピアノと水泳と公文を習った。
いや、習わされた。自分でやりたいと言った記憶もない訳じゃないけど、今思えば親に「言わされた」気がする。

僕は中学受験もしたので、6年生の時は日曜日に電車に乗って予備校にも行った。
でも正直に言って、基本的に誰かに何かを習うのは好きじゃなかった。ピアノ以外は小学校で辞めた。

なぜあんなにイヤだったのか?

中学受験の合格祝いで行ったスキー。スクールに入れば上達が早いのは分かっていたけど、どうしても嫌だった。
なので、我流で滑った。転ぶのも嫌だったから、なかなか上達しなかった。
僕よりずっと後からスキーを始めた友人にも、すぐに追い抜かれた。
それでもスクールに入りたくなかった。
腰が引けずに足を揃えてターンが出来るようになったのは、大人になってからだ。

 

なぜ、あんなに嫌だったんだろう?
書き出してみる。

  • 自分のペースで好きにやりたい
  • みんなと同じ格好で、一緒のことをするのが嫌だ
  • 自分だけ上達が遅かったりして、みんなに迷惑をかけたり、気まずい思いをするのが嫌だ
  • 他人に習熟度を比較されたくない

今にして思いつくのは、そういう理由だ。

大人になったら

ところが、、、不思議なものだと思う。
ここ数年の僕は、誰かに何かを習うことに積極的だ。

前の会社では自由参加だったビジネス関連の研修に、社内でいちばん参加した。今年になっても講座やセミナーに結構な頻度で(あくまで自分比だけど)出ている。今日もWEB関連のに行く。

わからないことは自分で調べたり本を読んでもいいんだけど、素直に詳しい人に習うのが圧倒的に効率的だし、何よりしっかり身につく。

それが分かってきたというのもあるけど、一番はやっぱり”大人になった”というのが大きいと思う。
もっと簡単に言うと、単純に”面の皮が厚く”なった。

「みんなと同じ格好で一緒にすること」や「迷惑かけること」に対するハードルや心配がなくなった。
仮に迷惑かけたって、「そもそも出来ないんだから、お金払って教えてもらいに来てるんじゃないか」って開き直れるようになった。

思春期は、筋を通したい季節

でも、思えば10代の頃はそれこそすべてが世界の一大事だった。
自分が自分であるために、ありとあらゆることに気を配っていた。
こういうことに対しては自分の方針と態度はこう、ああいうことに対しては自分の姿勢と意識はこう、と決めて一貫しようとした。

自分というものの運営方針を明確にしたかった。
筋を通したかった。

便利や効率を重視している大人はズルくて抜け目なくて、一貫していないだらしない奴らだと思っていた。
いつも行き当たりばっかりで損得勘定しか考えないから、大人はカッコよくないんだと思っていた。

忍介に言われる前に言えば、見事なまでに中二病だ。

でも、・・・誰にも多かれ少なかれ覚えがあると思う、それが思春期って奴で、そこを無理矢理、上からフタをしても、良いことなんか何もないと思う。

友だちが一緒なら別?

ところで、”誰かに何かを習うことが好きじゃない”度合いでは、僕なんかに負けない忍介。
ただスノボについては、友だちが習うと言うから大人しく一緒にスクールに入ったそうで。

思春期の仲の良い友だちの存在っていうのは、スクール嫌いに勝るということなのか?

そうなんだろう。何だか微妙だけど。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在中学3年生・デモクラティックスクールを経て2019年春からホームスクーラー/忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』を出版しています。