朝7時。
「行ってきます」
と我が家の大学生が玄関を元気に出ていく。
ついほんの数年前までは――。
絵に描いた昼夜逆転のゲーマーだった。
問答無用、完全無欠の自宅警備員だった。
コロナ禍の超優等生。
おうち大好きガチこもり勢。
……だった。いや、本当に。
このブログの数年前を読んでもらえば
当時の証拠はゴロゴロ出ると思う。
「何か目的があれば朝もちゃんと起きる」
「とにかく本人の興味が一番大事」
という話は少し先を行く人たちからは
当時もたくさん聞いていた。
でも正直、うちの場合はどうなのかな、
とどこかで少し疑う気持ちも持ってた。
僕が間違っていた。
先人たちの言う通りだった。
――というひとつの証拠として
あげておきます。
思うに。
渦中にあるときは本当にわからない。
だからいきなり試みてしまう。
バタフライで泳ごうとしたり、
ビート板を買ってみたりする。
でもね。
「ああ、自分は泳げないんだ」
というところからだと思うんだよね。
泳げない。
だからジタバタしないほうがいい。
まず、水に浮く練習をしてみる。
水に浮くにはどうすればいいか?
身体の力をちゃんと抜くこと。
バタバタ手足を動かさないこと。
ゆっくり呼吸をすること。
そうやって水面に顔を出して
浮く絶対的な時間を増やす。
水に浮く感覚をつかんでいく。
大事なのはそこじゃないのかな。
「親としてこれじゃいけない」
「どうしても心配が離れない」
「子どもの姿を見るとイライラする」
もちろん、そのネガティブな気持ちに
正直であることも大事だ。
でもね、一旦認めるんです。
自分は泳げないんだ、と。
つまり、自分は子どもを
どうすることもできないんだと。
そして身体の力を抜く。
水に浮く時間を増やす。
水に浮く感覚をつかむ。
ビート板やバタフライのことは忘れましょ。
そんないきなり泳げるようにはならない。
バシャバシャ水をかかない。
浮く。力を抜く。水面に顔を出す。
「それができれば苦労しねーよ」
という声があちこちから
すかさず聞こえてきそうですが。笑
でもひとつ、できることとして。
認めてしまってはどうでしょう?
自分は泳げないのだ、と。
もちろん、それを認めることはつらい。
親として失格なんじゃないか。
そんな気持ちにもなる。
僕もそうだった。
無力な自分を認めるのはキツい。
でも割と実はそこが
真のスタートラインだったりする。
今にして振り返れば。
うーん、今日は純ちゃん偉そうだ。
なんたる上から目線!笑
でもね、こう見えて僕、一応
不登校については10年選手なんです。
キャリア長いんでね。
あえて偉そうに言ってみました。
まず泳げない自覚。
そして浮かぶ感覚をつかむ。
自分を許す。
そう、たとえば午後カフェで
甘いもの食べちゃいましょ。
だめな親でもいーんです。
いーんです。認めましょ。
むしろ子どもにとっては
そっちが望ましかったりもするんです。
今日も良い1日を。
P.S.
今週日曜、川越で散歩会やります。
よろしければぜひ。
コメントを残す