純ちゃんなんと53歳になりました。
え?
53歳になった感想?
いや、本当に実感が湧かない。
本当に実感が湧かない。
40代の頃は50代なんてまさに、
「おっさんの極み」だと思ってた。
おっさんの極み。
そして実際に自分が「おっさんの極み」
になってみて思うのは――。
60代なんて「じいさんの入口」だ、
とまだ失礼にも思ってる。
じいさんの入口。
「おーい、63歳の純ちゃんよ!
青二才がふざけたこと言ってるよ」
今から10年経ってもまだ、
このブログやってるかしら?
もしやってたら、コレ読めワンワン。
何が言いたいか?
今日から不登校インタビュー事例集
『雲の向こうはいつも青空』の
Vol.11号の取材が始まる。
(拍手:パチパチパチパチ)
確か村上春樹が『遠い太鼓』で
こんなこと書いてたと思う。
って手元に現物がないから記憶で書く。
いわく――。
長編小説を書いている間、
彼は常にこう思うらしい。
「この小説を書き上げるまでは、
なんとしても死にたくない」と。
もしこれを書き上げずに死ねば、
全て自分の中だけで終わってしまう。
つまりその物語は世に出ずに終わる。
跡形もなく消えてしまうことになる。
それが悔しい。
だから死にたくないのだと。
不登校インタビュー事例集
『雲の向こうはいつも青空』は、
別に僕らが一から
創作するわけでもなんでもない。
言ってしまえば取材して、
聞いた内容をまとめるだけだ。
言ってしまえばただそれだけ。
でも、大作家サマの話を出した後に
こう言うのは大変におこがましいことを
100も承知であえて言う。
やっぱり同じような気持ちは
僕にもどうしても生まれる。
つまり、これを世に出すまでは
なんとしても死ねないよねと。
だって本当に貴重な内容だし、
世に出すに値するものだと信じるから。
たくさんの人に読まれてほしい。
血が滲むくらい、心からそう願うから。
「読まれるに値するものだから」
その思いは通奏低音のように
取材して編集をしている半年間、
ずっと神経の底に流れている。
その低く太い音色を常に聞きながら
取材の音声を丹念に書き起こし、
膨大な数万字のテキストをなんとか
5千字の小宇宙に閉じ込める。
文字通り閉じ込める。
この作業は本当に脳味噌から脂汗が出る。
大袈裟に言うならば命を削る感覚もある。
でも一方でやりながら常に思っている。
今、死んでしまってはいけない。
これを世に出すまではと。
そして無事発売になると、
これまた結構な脱力が襲う。
「ぐはー」
そう。
昨日まではその脱力モードだった。
でも今日からまた始まるのだ。
この「死ねない日々」が。
さあ、今年の夏の発売開始に向けて
今日から半年間、走り始めるよ。
またまた取材旅行の旅ガラス。
「僕は死にましぇん」
がんばります。乞うご期待。
良い1日を。

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