受験勉強とウェルビーイング

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中学受験の僕の記憶

昔むかしのことだけど。
中学受験をした。

小学校六年生の1年間、塾に通った。
今とは時代が違ったのだと思う。
受験勉強がすごく大変だった記憶はない。

それでも、、、

ひとつ鮮明に覚えていることがある。

試験が終わった後、
母にどうだったかと聞かれて答えた。

だいたい出来たと思う。
でも解けなかった問題が2つあった、と。

それが母には相当ショックだったらしく。

合格発表を見に行く道すがら、
解けない問題があったからきっとダメだ、
不合格でも気を落とすなと散々言われた。

道中そのことばかりずっと言われた。

かなり強い口調だったので、
解けない問題があったことを
終始責められている気分だった。

今思えば、
母は自分に言っていたのだと思う。
数十分後、それは杞憂に終わった。

親が豹変してしまう

でも受験生の親というのは
こうも感情が揺れるものなのだ。

あんまりガミガミ言う人ではなかったけど、
あの合格発表の日の母は、本当に嫌だった。

全然話のレベルが違うことなのだけど、
これを読んでそんなことをふと思い出した。

2016年8月、名古屋市内で、
小学校6年生の息子を包丁で脅しながら
勉強を教えていた父親が、
息子の胸部を刺し失血死させた事件。

子どもを可愛がる優しい父親だった。

それが難関中学の受験を機に豹変する。

我が子の受験が、父親が抱えた複雑な
コンプレックスの蓋を開いてしまう。

父親は息子を大切に思い、息子にもう受験をやめると言わせたかったという。「(受験勉強が)もう無理なら・・・一緒に遊んだり旅行したりしたかった」という言葉が、この子を殺した父親から発せられていたと誰が思うだろうか。

本当に胸に迫る話だった。

ウェルビーイングというものを考える

詳細はぜひ本文を読んでみてほしい。

ここでは最後の部分を紹介する。

さて、世界には、教育が無償の国、どの学校に行ってもほぼ同じ教育が受けられる国、自分で行く学校が選べる国がある。もし教育が無償で選択の自由があり、学校間格差がなければ、親は受験に必死になる必要がない。したがって、教育虐待は起こりにくくなるだろう。
そのような学校教育は日本においてどうしたら実現するのだろうか。私たちは、この問いを日本の子どもたちの(そしてその後の大人たちの)人生の問題、命の問題として真剣に考えなければならない。その際、たとえ学校教育を変えても、人のウェルビーイングが、「経済的成功」「エリートの地位」にあると思っている限り、教育虐待が生まれる状況は変わらないということは忘れてはならない。

人生の問題、命の問題として真剣に考える。
人のウェルビーングはどうあるべきか。

そういうのって
言ってしまえば「面倒臭い」話だ。

でもやっぱり、
一人一人が考える必要があるだろう。

あなたは
お子さんのウェルビーイングは
どういうものだと思いますか?

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在19歳・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。