超絶人見知りでも、自然にできて驚いたこと

超絶人見知りでも1

村上春樹の
「走ることについて語るときに僕の語ること」
を最初に読んだのが
もう10年も前のことなんだと思うと感慨が深い。

タバコをやめられたら挑戦したかったこと

もしタバコをやめることができたとしたら、
村上春樹のように走ってみたい、と思った。

人生は不思議なもので、
絶対に無理だと思っていた禁煙も
忍介のおかげできっぱりやめることができ

そうなると走ることへの障壁はなかった。
ランニングシューズを買い、
レースにエントリーした。

以来8年間、
年に2回フルマラソン、
月に平均200kmを走る生活を続けてきた。

その中でも
100kmウルトラマラソンだけは
おいそれと手を出すことができなくて、

なんとなく「憧れ」で
人生で一度は走ってみたいけど、
まあ難しいだろうな
って感じで放っておいた。

でも今年になって思った。
46歳だし、マラソンのタイムも
この先、体力的に厳しくなるだろう。

人生に一度は、なんて
悠長に思っているうちに
怪我したり病気になったり
するかもしれない。

走れるうちに走っておこう!

そう思って先週ウルトラマラソンを走った。

今日みたいに涼しい雨の日曜日だと
つい一週間前の
灼熱の江戸川河川敷のことが
夢うつつのように思えるけど、

先週柴又100kを走った人の
ブログをいくつか読んでいると、
自分が感じていた気持ちが
ありありと思い出せてとても良かった。

超絶人見知りでも自然とできたこと

僕が今回一番
自分で自分にびっくりしたことのひとつに

エイドでサポートしてくれる方々や
応援をしてくれる人たちに
大きな声で「ありがとうございます」と
いちいち応えることができたことだ。

え?
小学生じゃないんだからって?

まあ、そうおっしゃらず。笑

超絶人見知りの身にとっては、
見知らぬ人に声をかけるのも
反応するのも実は結構なハードルで、

ハーフマラソンや
フルマラソンなんかでは
会釈を返したり
小さい声でお礼は言っていたけど、

先週のウルトラマラソンでは
気がつけば全ての応援や声かけに対して、
自分でも驚くくらいの大きな声で
しかも自然に反応できた。

前回の記事でも書いたけど、
この距離を走ることになると、
タイムだの順位だのは問題じゃない。

走る人も、サポートする人も
応援する人も、みんな仲間だ。

苦しかったけど、
こうして安心して幸せに走れるのは
自分だけの力じゃ到底無理なことは
骨身に沁みてわかる。

人からもらう励ましやサポートは
すべて本当に心から嬉しいことで、

だから「ありがとう」の言葉も
自分でびっくるするくらい大きな声で、
しかもほとんですべての場面で返せた。

返せた、そんな自分が嬉しかった。

90kmを過ぎて、とっぷり暮れた頃。
江戸川河川敷の土手。暗闇の中を走る。
彼方に東京の夜景がうっすら見える。

そんな中、下の道路からは
月明かりで土手の上を走る
僕らランナーのシルエットが見えるんだろう。

下の道路を走る車の中から
「がんばれー、がんばれー、がんばれー!」
って大きな声を張り上げてくれている人たちがいた。

疲労困憊だったけど、
僕らその励ましに反応して数人のランナー、
揃って大きく手を振って応える。

暗闇の中だったけど、
どこかで誰かが、ちゃんと見ていてくれて
あたたかく声をかけてくれる。

こんなに嬉しいことって、他にあるだろうか?

お互い姿はよく見えないけど、
みんな気持ちは通じていたと思う。

なんとも平和な図じゃないですか!
人間って、捨てたものじゃない。

長く苦しい道を通過して

超絶人見知りでも2

もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、いったい誰がわざわざトライアスロンやらフル・マラソンなんていう、手間と時間のかかるスポーツに挑むだろう? 苦しいからこそ、その苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ、自分が生きているというたしかな実感を、少なくともその一端を、僕らはその過程に見いだすことができるのだ。生きることのクオリティーは、成績や数字や順位といった固定的なものにではなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだという認識に(うまくいけばということだが)たどり着くこともできる。

『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹

走るようになる前には
ちょっとキザなんじゃないかと思っていた
こういう文言。
(苦しいからこそ、その苦しさを通過、云々)

今にして思う。

本当に、その通り!
そして本当にこういう風にしか言えないな、と。

走ることは
ものすごく人を選ぶ行為だと思う。

興味ない人には徹底的に関係ない話だし、
逆に、惹かれる人にはとても魅力的な営みだ。

そして走る人は
長く苦しい道を通過して初めて
感じるカタルシスが好きな人なんだ。

そんな風にあらためて思った。

父が走っているときに、君は

ちなみに余談だけど。

長く走るという営みに徹底的に無関心な我が息子。

50km手前の茨城県五霞町の大エイドでは
ちょうど忍介と同じ中学二年生だと思う、
うどんやら、きゅうりやトマトやらを
元気いっぱいに振舞ってくれていた。

「うどん、いかがですか?」
「天かすもいっぱいいれますよ!天かす天かす!」

なんて、実に楽しそうに勧めてくれて
腹ペコだった僕はうどんを2杯いただく。
きゅうりやニンジンジュースも堪能する。

実に美味しかった。
”人間やってて良かった”という味だった。

朝、5時前に僕が始発電車で出るとき
忍介はまだ起きてゲームをやっていたから、
きっと昼時のその時分はまだ寝ていただろう。

元気な五霞町の中学生たちを見ていると
徹夜ゲームで昼夜逆転している
我が子を思って微妙な気持ちになったりした。

まあ、それはいいか。笑

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。