例えばあなたの友人がこう言う時、
「どうしても会社があわない。これ以上行くと自分は壊れてしまう気がする」
あるいは
「もう夫と暮らしていくのは無理だ。これ以上一緒にいると自分がどんどん嫌な人間になっていく」
あなたは友人に、何と声をかけるだろうか?
「会社辞めていいんじゃない?無理して心身壊すことないよ。人生一度きりだし」
「どうしても受け入れられないことってあるよね。無理だと思うなら、思い切って別居してみたら?」
相手が本当に参っている時、辛い時、苦しんでいる時、そんな風に言いますよね?
多少のニュアンス違いはあるにせよ、おおむね。
***
でも。
自分の子どもが同じようなことをあなたに言う時、—例えば
「もう学校に行きたくない」
と訴えかける時、
「そうか、どうしても学校に行きたくないのか。分かった。じゃあ、いっそ学校に行くの、やめてみたら?」
と、言うだろうか?
***
僕は言わなかった。
何とか学校に戻そうとした。
戻るように説いた。
学校に再度行けるようになること。
それが息子の不登校に直面した時の、僕の“解決”だった。
今なら分かる。
会社に心身を蝕まれている友人や、夫を受け入れられない友人の身になってみれば分かる。
自分の心からの訴えに全く耳を貸そうとしない人間の意見を、果たして人は素直に聞くものだろうか?
従おうとでも思うだろうか?と。
でも、—言い訳するのではないけど、その時は心底、必死だった。
とにかく息子をなんとか学校へ戻す、その一念だった。
***
過ぎてしまえば、今となっては夢みたいなものだけど。
それにしても、どうして僕らは友人に対して言うのと同じように、子どもに優しい言葉をかけることができないんだろう?
そもそも、なぜ自分は子どもに学校へ行って欲しいと思っているのか?
多分それをイチから考えることが、親にとっての不登校の出発点なんじゃないだろうか。
そして、その答えは、ひとりひとり必ず違う。
だから正解は、無い。
でもそこが、出発点だ。きっと誰にとっても。
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