もしかしたら期間限定かも知れない。
だけど、今は最後まで読めるので
よろしければぜひ。
娘と息子の不登校を経験した
元中学教諭の坂本則子さんが
自身の経験を本にして出版した。
その本についての記事だ。
小3の2学期から息子が不登校になった。
テーブルの脚につかまって放さず、暴れる。
2年ほどすると少し落ち着いたが、今度は
中学卒業間際だった娘がひきこもった。
合格していた高校には通わなかった。
記事では簡単にしか触れられてないけど、
きっとなかなかに壮絶だったんだと思う。
「でもやっぱりここだよね」
というエッセンスが凝縮されてる。
そう思って読んだのはこの一節だ。
「ダメな母親」と自分を責めた日々を振り返りつつ、こう記す。
《息子も娘も、「期待に応えるよい子」であった自分をかなぐり捨てて私にぶつかってきました。私も本気で受け止めようとしました。親と子のせめぎ合いを重ねて「よい子への期待感」で塗り固められていた私の外面が剝がれ落ち、ようやく心底から「何もなくってもいい。生きてくれているだけでありがたい」という気持ちが湧き上がってきたのです》
「期待に応えるよい子」
「よい子への期待感」
コレなんだよね。
学校へ行く行かないだけじゃない。
そんな単純な問題じゃない。
不登校ってもっと本質的なことなのだ。
だから本当に心底、向き合う必要があって。
「よい子への期待感」で
塗り固められていた外面。
それが本当に剥がれ落ちたときにこそ、
ようやく見えてくるもの。
それが
「生きてくれているだけでいい」
なんだ、と。
「わかるわあ」
僕も今はだいぶ思えるようになってきた。
なんせ俺っちもう十年選手なんでね。笑
「でもやっぱり学校には行ってほしい」
という思いがどうしても捨てられない。
それも、同じくよくわかります。
「どうすれば行けるようになるか」
僕も散々、それをやってきたから。
でもって失敗してきた。
だからこそ向き合う必要があるんだよね。
親である自分自身に。
「なんでこの子は
学校に行かないんだろう?」
と、子どもに矢印を向けるのではなく。
「なんで私はこの子に
学校に行ってほしいと思うのか?」
と、自分自身に矢印を向けてみる。
「なんで行ってほしいと思うのか?」
それをあなたが自分に問うこと。
そこが本当のスタートラインだと思います。
なあんて、偉そうに!笑
でもやっぱりそう思います。
今日も良い1日を。

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