昨日の話の続き。
忍介のおかげで僕自身、
色々と考えを変えることができてきた、
ということについて。
「不登校という名のギフト」
というブログタイトルは、正直、
実は今でもかなり気恥ずかしい。
不登校だったから良かったとか、
不登校こそ逆に素晴らしいとか、
そういうことを言いたいわけじゃない。
ぜんぜんそうじゃない。
ただ、息子の不登校の経験は、
僕にはひとつの大きなきっかけだった。
価値観が変わった。
具体的には考え方や感じ方の
オプションが増えた。
誤解を恐れず言うなら、
豊かになれた、とも言える。
そのことを「ギフト」という
言葉にしたつもりだ。
6年前のちょうど今頃。
忍介が学校が嫌だ、行きたくない
と言って家にひきこもっていた。
コンクリートジャングルの
クールでハードボイルドな
資本主義の最前線では、
嫌だとか行かないだなんて
言ってもやってもいけないことだ。
――と、思っていた。
それじゃ生きていけないぞ。
もっと強くあれ、みたいに。心のどこかで。
でも忍介は将来、
資本主義の最前線で粘り強く戦うなんて、
ぜんぜん決めてない。
冷静に考えてみればわかる。
僕が勝手にそう思い込んでただけだ。
先回りして。
子どものために「良かれ」と思っての、
親の身勝手さ。横暴さ。傲慢さ。
そこに気づいてから、
見える景色が違うものになった。
遠近法がなかった時代の
のっぺりしたモノクロ画が俄然、
フルカラー高解像度の3D映像になった。
というのは、ハイ、盛ってますね。
言い過ぎました。笑
とにかく僕には大きなことだった。
6年前、2014年の1月。
3学期からの登校に期待していて叶わず、
何をどうしていいかわからなくなっていた。
だからこの季節になると、しんみりなる。
その頃の記録。
読むとジタバタしてて恥ずかしいのですが、
よろしければ。
今日も良い1日を。
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