辛いなら、死ぬくらいなら、
無理して学校へ行かなくていい――。
夏休み明け9月1日に命を絶つ子が多い、
ということが知られるようになって数年。
夏の終わりには数多くのメッセージや
報道が流れるようになった。
でも9月1日を過ぎたらそれで
大丈夫になるわけじゃないし、
当事者をよそにお祭りみたいに
見えるケースもある…
そんな違和感やモヤモヤを語る経験者たち。
冒頭、その部分と
「変わるべきは社会のほう」と語る
西成高校山田校長の部分は既出だと思う。
以前、記事として読んだ記憶がある。
ただ、それ以外の部分は、
僕は初めて読む内容だった。
特に朝日新聞に寄せられた
当事者たちの声は胸に刺さった。
ちょっと長い記事だけど、
読み応えある内容なので
未読の方は是非読んでほしい。
そんな中。
僕が個人的にいいな、と思ったのは
シンガーソングライター
大森靖子さんのコメントだった。
「生きづらい」気持ちにはグラデーションがあります。切羽詰まっている感情だけじゃなくて、日々感じている「これでいいのかな」「やりづらいな」「この社会に向いていない」みたいなものもあります。だから、「生きづらい」は特別な感情ではなく、ずっとそこにあるものです。
(中略)
私は「明るく素晴らしく健康的に生きて行こう」とは思っていません。「ボーッとしている希望」とか、「つらいけど普通の日々」とかで別にいいじゃんっていう考えです。もっと、だらしない「生きよう」でいい。
ボーッとしている希望。
つらいけど普通の日々。
だらしない「生きよう」でいい。
ホント、そうだなあ、と。
しみじみ思った。
別に立派なものでなくてもいいじゃんねー。
違う!いや、そう!
と、大河「いだてん」最終回の余韻で、
まーちゃんの口癖が伝染っている。笑
視聴率は散々だったみたいだけど、
この一年、僕は楽しかったな。
さて、2019年も残り2週間。
今日も、良い1日を。
記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。
更新の励みになります。バナーのクリックお願いします!
コメントを残す