「学校に耐えらない」と、「社会で働けない」は直結しない

 

本当にそうだなあと思って読んだ。

一番頭ブンブンなったのはここだ。

「学校に耐えらない」と
「社会で働けない」は直結しない、
という指摘だ。

我が子が直面する困難に対して募る不安を突き詰めると、「学校に行かない先に、どんな未来が待っているのか?この子は自立できるのだろうか?」という点に辿り着くのではないでしょうか。

では、実際はどうかというと……私が関わった不登校経験者は、少なくともほぼ全員が社会に旅立っています。進学・就職・転職・結婚・子育てなど、「自分の人生をどう生きるか?」という問いに、自分なりの解を導き出しています。

この通り、「学校に行けない、学校生活に耐えられない」のと「働けない」のは別もの。学校生活に「何のために頑張るのかわからない/メリットを感じられない」という子も、仕事には、報酬・やりがいなどのメリットや喜びを感じて頑張れるケースはとても多いんですよ。私の教室でも、「これを手伝ってよ」と頼めば、喜んで協力してくれる生徒さんは多いですし、学校よりアルバイトに喜びを感じる子たちもたくさんいます。

そうなんだよね。

もっとナマな言い方をすると――。

「学校くらい行けなくてどうする?」
「社会はもっと厳しいところだぞ」
「やるべきことから逃げてたらダメになる」

そんな考えがどこかにある。
だから不登校を深刻な問題と捉えてる。

でも、これは僕らの勝手な幻想でしかない。
つまり、事実ではないんだよね。

これまで77人の方に一人あたり3時間以上、
みっちりインタビューしてきた身には

「学校に耐えられない」は
「社会で働けない」と直結しない、
は実感として大いにある。

本当にこの幻想というか、呪縛というか、
刷り込みからいかに早く抜け出せるか。

そこなんだと思う。

もう一つ良い例えだと思うのはここだ。

「学校に行かない!」というと大事件に思えますが、それはいわば「食べ放題で食べない選択」と限りなく似ています。体調や好みに合わせて量を調節したり、デザートだけを堪能したり……お腹がはちきれるまで堪能するのも、腹八分目で抑えるのも自由ですよね。

食べ放題で食べない選択。

言われてみれば確かにそうだ。

でもそれを無理矢理「食え食え」と
全員に仕向けているのが、
今の日本の学校教育だと思う。

確かに、食べ放題はコスパがいい。
お腹空いた食べ盛りには良いシステムだ。

でもそもそもお腹が空いてない子や、
食が細い子に「食え食え」の強要は
はかえって迷惑でもある。

馬を水辺に連れていくことはできる。
でも水を飲ませることはできない。

――という当たり前をね。

やっぱり我々大人は
しっかり銘記すべきだと思う。

って端折って紹介しちゃったけど、
よろしければ記事もぜひ全文を。

今日も良い1日を。

P.S.
「学校に耐えられない」は「社会で働けない」と直結しない、を僕が実感する根拠。それは僕ら夫婦が作っている『雲の向こうはいつも青空』という不登校インタビュー事例集です。
バックナンバーも全巻発売していますので、実感したい方はぜひ、まとめての一気読みをおすすめします。「不登校のその先」の実例たくさん知るのがやっぱり大事だなあと。
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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在20歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。