いつになったらこの子は
できるようになるのだろう?
子どもを見ているとつい、
そんな風にイラっとする親は多いと思う。
我が家の忍介14歳について言えば、
お風呂上がりの脱衣所はいつも
オットセイか何かが通り過ぎたか?
と思うくらい水浸しだ。
ゲームをしながら食べたお菓子の袋も
そのままのことが多い。
毎度ながらだよなあ、と思いながら床を拭き
袋を片付けている。
ただアイスクリーム療法を実践して以降、
そのことで小言という名の
教育的指導をするのをやめた。
明るい、楽しい気分で片付ける
田中茂樹先生の新刊
『子どもが幸せになることば』で、
このくだりがとても印象的だった。
私は、「いつかはできるようになるだろう」と思って、片付けていたのではないのです。この違いが大事だと思うので、書いておきます。
もし「いつかはできるようになるだろうと信じて」やっていたら、片づけながら、「いつになったらできるようになるのやら」と不満に思ったことでしょう。
そうではなくて、たとえこの先ずっと脱ぎ散らかしたって、いくらでもいつまでも、自分が動ける限りは自分が片付けてやるぜ、という明るい、楽しい気分で片づけていたのです。
家でリラックスして、エネルギーを蓄えて、外の厳しい社会で生き延びてもらいたい。これが私の育児の最重要な目標です。家でのんびりできれば、心の元気がたまるはずです。ゆとりも生まれるし、試練にも、必要なら耐えられるでしょう。もしくは、嫌だと感じたら早々に撤退することもできるでしょう。
生きることを好きになる。自分を大事にできる子になる。そういう可能性も、家でのんびりできれば、高くなると思います。
そこに期待を持ち込まない
そうなのだ。
いつかはできるようになるだろう、
というのは親の期待だ。
「いつかはできるようになるだろう」
と期待している。だから
「いつになったらできるのか?」
という不満が出る。
期待があるから不満が出る。
不満は期待の裏返しなのだ。
そうではない、
明るい楽しい気分で片付ける。
そこに期待を持ち込まない。
自分に余裕があるのであれば
小言を言ってはいけない、
とまでは言わない。
でも思うのだけど、
誰かに小言を言って、相手がそれで
劇的に変わったことってあるだろうか?
小言って、言われる側も言う側も
結構疲れるものだ。
自分に余裕があるのであれば、
小言は抜きで明るく自分で片付ける。
そう思いながら、
そしてこの本を読み返して、
今朝も片付けた。
P.S.
昨日のダイヤモンドオンラインで『子どもが幸せになることば』が紹介されています。
この「パパ!たのちみだねぇ」のエピソード、本当に胸が温かくなります。ぜひ、読んでみてください。
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