昨日のお昼は我が家の17歳と二人、
ラーメン屋さんに食べに行った。
道中の会話はもちろん哲学だ。
僕も嫌いじゃないからあれこれ話す。
ふと思った。
世の高3の少年少女たちは今頃、
ひーひー、はーはー言いながら
受験勉強をしている。
哲学少年はまったくそっち系の
勉強を始めるそぶりすらない。
「いーんですか、それで?」
という声がもし、どこかからしてきたら。
「本人に任せてる」と答えるつもりだ。
だって本当にそうだから。
確かに将来も大事かも知れない。
でも「今」も大事だ。
今、本人が夢中になって哲学書を読んでる。
いーじゃないですか、哲学書。
役に立つ・立たない、は別モノだ。
にんげんを真に豊かにする。
そこへ「ねえ、進路は?受験は?」って
親がわざわざ水をさして、
果たして何かいいことがあるだろうか?
――という日本語は反語だ。
「いや、ない」が続く。
そんなこんなを
この一節を読んで改めて思った。
問題は起きてから具体的に悩めばいいのに、「将来、こうなったらどうするの?」と親が未来を心配して不安になるから、子どもは余計に苦しくなって動けなくなってしまいます。
大事なのは「何とかなる」「大丈夫だ」という安心感が家庭や地域の中にあることです。
子どもは未来を生きているのではなく、「今」を生きています。だから「今」を応援してあげればいいんです。「何ができるか」「何をするか」ではなく、「今ここにいること」を応援する。
日本講演新聞10月3日号掲載の
「大丈夫の種をまこう」。
ご存じフリースペースたまりば理事長の
西野博之さんの言葉だ。
西野さんの講演はたぶんもう
僕は通算で10回くらい聞いている。
影響受けまくりだ。
だから少しずつ血肉になってきた。
「何ができるか」「何をするか」
親はね、すぐそう思ってしまう。
僕もそうだったし、
今もまだそれがないわけじゃない。
でも「何ができるか」ではなく。
「今ここにいること」を応援する。
これでいいし、むしろこれがいい。
そしてこれは意外に難しい。笑
「今ここにいること」を応援。
それが親の役目です、と。
今日も良い1日を。
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