この人は私と違う人生を歩むのだ

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連日、♪あんだんて♪の新刊
『不登校あるある』を紹介している。

ページ折った箇所を全部紹介しようとすれば
まだあと一週間くらいかかりそうだ。

さすがにそこまではしない。

でもね、本当によかったのでね。

今日もやっぱり紹介しちゃう。笑

何度も書いてるのだけど、
最後の座談会の言葉が刺さりまくる。

今日はラスカルさんのこの言葉を紹介。

ラスカル 私は子どもは自分の思うようにならないことを思い知った。それまでは、ある程度は親が子どもをコントロールできるように思っていたけれど、不登校になると親が望むように子どもは動いてくれなくて。否応なしに、「この人は私と違う人生を歩むのだ」「私とは全然違う価値観で生きているんだ」と考えるようになった。あと、私自身は得意なことを伸ばすと言うよりも、苦手なことを克服するとか、やりたくないこともがんばるとか、そういう生き方をしてきたように思うけど、子どもは好きなことや得意なことで人生を選択している。その姿はすごく生き生きしているように見えて、なんで私はそういう人生を歩めなかったんだろう?とも思う。とても勉強になりました。

さくら ラスカルさんすごい。

ラスカル すごくないですよ(笑)。だってあの人たち本当に好きなことしかしないもん(笑)。でもそれでも人生歩んでいけるんだ〜ってね。

フェルマータ 私も時々思うよ。「あんたらはええな〜」って(笑)。

これ、もう僕も完全にリンクしていて。

息子が小学3年生で不登校になったとき、
最初はこう思っていた。

嫌なこと、辛いこともあるだろう。
でも学校っていうのはプチ社会だ。

実際社会に出たときの予行練習なんだ。
そういうのに慣れる必要があるんだ。
だから頑張って行けるようになろう、と。

苦手なことを克服する。

完全にそっちに頭が行ってた。

そしてそれは自分自身もだった。

「どの業界、どの業種でも全方位、
全ポジション、なんでもできますよ」

そういう“売り方”をしていた。
そうやって5年ごとに会社を渡り歩いていた。

苦手なことは極力なくしてきた。
でもその分、
得意なことを伸ばしてなかった。

そして息子が不登校になった。

そのとき僕は彼をなんとか
「がんばって学校に行ける子」
にしようと仕向けていた。

でもあれやこれやの葛藤やら
夫婦喧嘩やらを経て文字通り、
否応なしに気づかされた。

「あ、この子は僕と違う人生を歩むのだ」

どんな人生か?

学校という場そのものを拒否する人生だ。

そんな人生、想像したこともなかったし、
実際うまく想像もできなかった。

だから混乱した。

でもね、混乱した状態から抜けて一旦、
腹の底まで本気で受け入れてしまえば。

フェルマータさんじゃないけど、
こう思えるようになった。

「あんたはええな〜」って。

そしてそれは返す刀で斬りかかってもきた。

「自分だってそうすりゃいいじゃん」と。

好きに生きていいんだぞと。
得意なことを選んでもいいぞと。
生き生きと働く道もあるぞと。

会社員だけが唯一の正解じゃないぞと。

また自分語りが長くなっちゃった。

直接的には、もう本当に
前の会社での生活が辛くて辞めた。
まるでブレーカーが落ちたみたいに、
逃げるように、後先も何も考えず。

でも今思えば、そういう
特大のブーメランだった気がする。

ラスカルさんの発言を読んで、
そういう諸々が改めてつながった。

だから不登校という名のギフトなんだよな。

という演説を長々と――、

ご清聴ありがとうございました!

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。