長い距離を走るときは、
多摩川の河川敷を走ることが多い。
土手の上から子ども達の
サッカーを眺めながら走る。
小さい子たちの場合、
みんながボールに群がる
「団子サッカー」になりがちだ。
僕が小学生だったときは、
6年生になってもダンゴサッカーだった。
誰もパスなんかしやしない。
ボールを持てばひたすらドリブルだった。
でも最近の小学生は上手だ。
相手が寄せてくるとスッとパスを出す。
バランス良くポジショニングしていて、
はあ、代表チームが
W杯に出るくらい強くなると、
ちびっこ達も変わるものだなあ、
と、ちょっと感心したりしていた。
なので、この記事は結構な衝撃だった。
ちびっこサッカーはダンゴサッカーになる。
それが普通なのだ、と筆者は言う。
なぜなら子どもには
「蹴りたい欲求」があるから。
問題は、そこで大人達が強制的に
指導という名の矯正を始めてしまうこと。
お前はここにいて、ここで待て。
お前はここ、そこからあそこへ行け。
言われた通りにやると勝負に勝つ。
コーチは言う。
な、だから言っただろ?
親達は言う。
コーチのおかげで勝てました。
ありがとうございます。
しかしこれは大切なものを奪っている、
と筆者は言う。
子ども達の好奇心と主体性を
奪ってしまっているのだ、と。
どうやったら上手くなるか、どうやったら勝てるかを子どもたちが考えられるように仕向けるのが大人の役目なのではないでしょうか?
(略)
ダンゴサッカーを解決するのは大人ではなく、子どもたちです。
大人が先回りして、子どもに教えてしまうことで奪ってしまうことに自覚的にならなければならないと思います。
ただし、それには時間がかかる。
だから待つことが大切で、
待つことができない大人は
良い指導者ではない、と。
なんだか、しみじみした。
ちびっこ達の華麗なパス回しに
感心させられていたのだけど、
言われてみれば確かにアレは
ちょっとやっぱり不自然かも。
今は我慢をしろと。いつか子供たちにも、空間認知能力がついて、気がつくときがくるんだって。コーチが我慢しなくて、だれが我慢するんだって
確かにそうだなあ、と思った。
そして、子育てやら、学びやら、
生き方やら、――何でもそうだと思った。
いつか子どもが自分で気がつくときがくる。
ただ、それには時間がかかる。
信じて待つことが大切で、それは
親の大事な役目なんじゃないか、と。
思った次第。
今日も、良い1日を。
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