そのハンドルの上には親の手がある

そのハンドルの上には親の手がある
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去年は親業訓練一般講座を受けていたので、
このブログも親業がらみの記事が多かった。

昨日「能動的な聞き方」のことを書いて、
久々に「親業」の本を手にとって
今朝パラパラ読んでみた。

目に止まった一節。

私は「親の指導」は、もっとも広く是認されてはいるが、いちばん誤解されてもいる親の機能のひとつであると考える。指導とは、ある一定の方向へ方向づけすることを指し、同時に、方向を決めるハンドルの上には親の手があることが暗に意味される。親が子供の手からハンドルを横どりし、ある特定の方向に子供を導こうとすれば、当然、抵抗が生まれる。

子供は親の意図を読むのにさとい。親の指導とは、ふつうは子供をありのままに受容しないことなのだとすぐに悟る。親が自分になにかしようとしている、と子供は感じる。そういう間接的な支配はいやなものである。自分の独立性が脅かされると感じられるからである。

親業 子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方 トマス・ゴードン著 近藤千恵訳

指導、という名の方向づけ。
その方向を決めるハンドルの上には
親の手がある。

ズバリ明快で、
これはまさにその通りだなあ、と思う。

改めて指導という言葉と行為自体、
しみじみ考えてしまった。

指導だしつけだ、親としてどうあるべきか。
その手の言葉はあふれている。

でもゴードンが書くように、
そのハンドルを誰かの手が握っているような
「間接的な支配」は、本来
子どもでなくても誰だって、
イヤなもののはずだ。

そうじゃないですか?

話は変わってしまうのだけど、
「適応指導教室」なんて、
考えてみれば酷い名前だと思う。

適応を指導する、って
どんだけ上から目線なんだろう?

人のハンドルに触らない。

危なっかしく見えたとしても、
本人にハンドルを任せること。

親も学校も社会も、その忍耐と勇気こそが
一番大切なことなんじゃないかな、と。

思った次第。

今日も良い1日を!

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。