残念なコミュニケーションになる

昔むかしの話。

上司の言動が、透けて見えてウザかった。

「いつでも遠慮なく相談しろよ」
「なんでもヘルプは言ってくれ」

一見、理解があるふうだった。

でも結局、自分の思う方向に
物事を全部持っていきたい。
そんな腹の底がよく見えた。

自分は部下を持つ身になったら
こうはならないようにしようと思った。

でもふと気がつけば、、、

肩書きがつくようになると、
気がつけば僕も同じようになっていた。

コーチングの本なんかを読んでいたから、
よくこんな質問をした。

「どういう助けがあれば、
〇〇は可能かな?」

一緒に考えているつもりだった。

でも、今にして思う。

「どういう助けがあれば」式は、
時に危険だ。

なぜなら完全に、
〇〇をやることが「前提」になっている。

きっとこの質問を聞いた人の何人かは、
かつての僕と同じだったんじゃないか?

ああ、この人自分の思う方向へ
物事を持っていこうとしてる。

それでいてわかったふうな
装いもしたいんだな。

でも腹の底が丸見えだよ、なんて。

ゴールの共有が重要

忍介が学校に行けなくなったときも、
僕は聞いた。

「どういう助けがあればいい?」

僕の口調は優しくて、真剣だったはずだ。

でもその質問は
「学校へ戻ること」が完全に前提だった。

「どういう助けが」式の質問自体が
良くないと言っているわけではない。

気づきを引き出す効果はあると思う。

ただ、目指すゴールを丁寧に
相手と共有すること無しに、
それを聞くのは危ういんじゃないか。

よくよく確認した上でないと、
聞き手の思惑が透ける質問だ。

まずは相手の本当の気持ちを
理解しようとすること。

そこをすっ飛ばすと、
残念なコミュニケーションになる。

はい、その通り!

毎度ながらの「自戒シリーズ」でした。笑

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。