圧倒的な言語化に、涙

 

 

 

 

一体いつのことだろう?

「ああ、自分は主役ではないんだな」

そう気づいてしまったのは?

一体いつからだろう?

「大人のウソは全部透けて見える」

その自慢の目が曇るようになったのは?

一体いつのころからだろう?

「こんなもんだ」
「そういうもんだ」

そう言い聞かせるようになったのは?

そしていつしか大人と呼ばれる年齢になり、
れっきとした大人と見られる風貌にもなった。

ネクタイを締めて満員電車に揺られる、
その他大勢のカメレオンの一員になった。

別に諦め切ってるわけじゃない。
楽しくないわけでもない。

情熱を燃やすこともある。
熱中できることもある。

でもどこか醒めた自分は確実にいる。

何かをひとつ選ぶたびに、
可能性はまたひとつひとつ狭まっていく。

そんな感覚、ないですか?

なんだか胸がキュッとなります。

ああ、せちねーぜ。

「そんな雑な感想言ってちゃダメだ!」

そう思わされる、見事な言語化だった。

いや、あまりにも的確すぎて涙が出た。

めちゃんこ沁みた。引用する。

スーツはある意味「平凡」という名の檻です。日々の制服とも言える。でもそこから彼は突発的に、自分の精神や魂をダイナミックに表現するわけです。彼が踊っているこの5分間だけ。

これがこの映画ですよね。つまり、僕たちがどれだけ「普通の人生」というもので着飾ったとしても、僕たちの内面には神秘があり、魔法があり、何かが存在している。いつだって人間の魂は飛び立ちたいんです。それはピアノでもいいし、踊りでも、登山でも、自分の心が歌い出すようなことであればなんでもいい。そうやって僕たちの魂は自由になる。チャックが音楽を聞くとそれが起きたんです。落ち込むのではなくて、その瞬間に魂を解放する。素敵な役でした。

そうそうそう!

これなんだよ。これ。
僕が言いたかったのは。

いつだって人間の魂は飛び立ちたい。

いつだって飛び立ちたいんだよ、本当に。
どれだけ普通の人生で着飾ってても。

そして「平凡な人」の話も、実に沁みた。

平凡な人はみんなそれぞれの形で非凡だし、全ての人生はユニークで、それぞれに情緒的な歴史があって、人々や、場所や、本や音楽とのつながりがある。人生が終わるとき、その紡いできた繋がりというのは消えてしまう。だから人生は楽しむべきものだと思うし、真剣に取り組むべきものだと思います。(中略)

悲しみの中にはいつも、喜びと自由が同時にある。それが生きるってことの深遠な意味だと思う。「平凡ってなんだ?」というのがこの作品の問いかけだと思うし、平凡な人なんていないんだと思っています。

けっこうね、前にも書いたけど
全編ミステリアス&サスペンス風味だし、
なんならずうっとかなり怖い。

でも観終わったときにどこか
ほんのり胸が温かくなる。

なぜか?

悲しみの中にはいつも、
喜びと自由が同時にある。

平凡ってなんだ?
平凡な人なんていないんだ。

そういう形にならない隠れたメッセージ。

それが観た者の胸の中に届くからだと思う。

何が言いたいか?

「いや、言語化、大事大事」

せちねーぜ、で逃げちゃダメよん(反省)。

トムさん、素晴らしい言語化、
本当にありがとう。

ああ、あの圧巻のダンスシーン、
また観たくなってきた。

この映画、本当におすすめです。

よろしければぜひ。
(もうそろそろ終わっちゃうかも)

今日も良い一日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在21歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。