本当に皮肉な逆説なんだよね。
「子どもの不登校をなんとかしたい」
そう願ってしまうのは、なぜか?
それはあなたが「良い親」だからだ。
子どもの幸せを願う「良い親」。
だからこそ、道を整えてあげたくなる。
子どもが転んでしまわないように。
いらぬおせっかいも焼いてしまう。
すべては善なる親心、なのだ。
愛情以外のなにものでもない。
そうですよね?
でもそれが子どもにとって
本当に「良い親」なのか、どうなのか。
「良い親でありたい」
本能的に、潜在的に、無意識に
そう思っている親の自己満足。
「もしかして俺は自分で自分を
苦しめているんじゃないか?」
ふとそんな自問自答に至った。
もちろんその前にはあれやこれや、
おきまりのスッタモンダがあった。
やっちゃいけない奴もいっぱいやらかした。
(はい、やらかしましたとも!)
そんな閉塞感だらけの日々を過ごした先に
アイスクリーム療法に巡り合って。
日々、いちいち小言を言うのをやめてみた。
具体的には小言を言うのをやめただけだ。
でも内面的には実は巨大なものがあった。
「良い親であろうとすることを、
あえて・戦略的に・放棄してみる」
憲法9条の「戦争放棄」じゃないけれど。
僕の場合は、そんな感覚があった。
もう小言は言わない。
子どもの人生に変に介入しようとしない。
そして良い親であろうとすること。
それを完全にやめてみた。
純ちゃん9条、良い親の完全放棄。
いーんだよ、別に。
良い親でなくたって。
何もしてやれなくたって。
無力であったって。
人からなんと思われようと。
良い親でなくてもいい。
無責任な親と言わば言え。
自分は自分で人生を楽しめばいい。
子どもと自分はしっかり切り離す。
「でも子どもの将来は?進路は?」
大丈夫マイフレンド。
いつかきっと、自分のペースで歩き出す。
少なくとも――。
あれやこれやの情報を統合し、
全般を総合的に判断してみたところ、、、
自分が「良い親」であろうとする限り、
どうやら物事は良い方向へは
残念ながら向かいそうにない。
そのことに気づいた。気づけた。
良い親であろうとするのをやめること。
不登校を解決しようとするのをやめること。
それも上辺の話ではなく、心底腹をくくる。
世間体なんてどうだっていい。
本当にこの先、子どもの人生が
どうなったっていい。
どうなったっていいんだよ。
でも、もちろんゆずれない一線はある。
それは、親である自分たちだけは、
たとえ世界中を敵に回したとしても
絶対に・最後まで・断固として、
子どもの味方であり続けるということだ。
そういう覚悟。
その最後の一線の引き方。
実はそれが1番の鍵である気がする。
良い親であろうとしない。
課題を解決しようとしない。
とにかく手放す。
この、禅問答みたいな皮肉な逆説。
期待はしない。ただただ信頼する。
「いや、言ってることはわかるよ。
でも言うほど簡単なことじゃないでしょ?」
ピンポン、ピンポン、大正解!
ようこそ、この長く厳しい、
曲がりくねった修行の道へ。笑
言うほど簡単なことじゃない。
だからこそ、
情報と繋がりが大事だと思ってます。
あとコミュニケーションのコツも、ね。
びーんずネットの直近の
イベントのURL貼っておきます。
どうか、一歩を踏み出してみてください。
いつかあなたとお会いできるのを
僕も楽しみにしています。
今日も良い1日を。

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