不登校を受け入れるということ

 

 

子どもが不登校になる。

どうにかこうにか、
押したり引いたり、
脅したりなだめすかしたり。

親はなんとかして
子どもを学校に戻そうとする。

でも何をどうしても
子どもは学校に戻らない。

あれやこれや、なんとかかんとか
行く行かないの攻防戦を経て。

なす術もなく、無為に日々が過ぎていく。

ねえ、一体これって何の罰ゲーム?

何をどうしたらいいっていうのよ?

そして僕は途方に暮れる♪
(大沢誉志幸)

――というのは不登校の親あるあるで、
誰もが一度は通る道だと思う。

僕もそうだった。

でもそんな毎日が延々続いていくうち、
いつしか親も自分と向きあうことになる。

そう、結局のところ。

親である自分が真剣に真正面から
自分と向きあうことなしには
子どもの不登校は受けとめられないのだ。

そんな過程にすごく共感できる記事だった。

以前にここで著書を紹介したことのある、
不登校コンサルタント・ランさんの記事だ。

「私自身、自分のことも大切にするようになりました。今まで家族で外食する時は、家族が選んだものを見てからメニューを選んでいました。何も疑問に思わずやっていたことなんですが、今は自分が食べたいものを選んでいます(笑)」

そうなんだよね。

外食するときは家族が選んだ後に
自分の食べるものを決める。

これ、本当にお母さんあるあるだと思う。
家族より先に「一番風呂」に入らないとかね。

でもね。
そんなことしなくていい。
自分を犠牲にする必要なんてない。

「いいんだよ、自分の好きにして」

そういう「許し」を自分に出すことだと思う。
不登校を受け入れるということは。

あ、なんか俺、今ポロッと
良いこと言ったっぽいぞ。笑

でも本当にそうなんだと思う。

僕自身、息子の不登校がなければ
絶対に会社員を辞めてなかったと思う。

どんだけ嫌な人間関係だろうが何だろうが、
雪が降ろうが槍が降ろうが、
海が干からび山が裂けようが、
イエス・キリストが再臨しようが、
家族のために断固、会社で働き続ける。

それが父親というものだ。

固くそう信じ込んでいた。

でも息子の不登校で真剣に自分と向きあった。

おかげで大きく変わることができた。

自分もまさにそうだったんだけど
本当にしんみりさせられる記事だった。

とても良かったのでぜひ全文を。

ちなみに僕はランさんの
最後のこの一節が一番響いた。

先回りをして降りかかる火の粉を払い、あれこれと干渉することは、子どもの考える力と自立を妨げてしまいます。私がまさにそうだったのですが、そのことに気づかせてくれたのが娘の不登校でした。

困難な状況にも乗り越えられる大人に育てたければ、親は子どもから「失敗から学ぶ機会」を奪わないことです。

子どもの人生の主人公は子どもです。親は主人公を支える名脇役になることです。それが子どもの「自分の好き」に気づき、才能を伸ばす子育てだと私は思います。

子どもが失敗から学ぶ機会を奪わない。
主人公は子ども、親は名脇役として支える。

ええ言葉や、と思いませんか?

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。