子どもが不登校になる。
ひきこもりになる。
親として大切なのは焦らず待つことだ。
よくそう言われる。
しかし、待つことは難しい。
そもそも、何を待つのか?
学校へ行けるようになることを待つのか?
友達をつくることを待つのか?
部屋から出てくるようになることか?
元気になること?
そうやって
「何かのために意識して待つ」こと。
それは相手に変化を求めている。
→あなたが変化するのを待ってるからね。
→良くなるのを待ってるからね。
→だって今のあなたは良くない状態だから。
そういうメッセージになってしまう。
不登校新聞2月15日号
「元当事者からの不登校対応マニュアル」
古豊慶彦さんの記事の話だ。
とても響く内容だった。
何かのために意識して待つこと。
それは「今のあなたは良くない」
というメッセージを裏にはらんでしまう。
一方で。
この先どうなるかはわからない。
でも一旦ジタバタするのはやめよう――。
その姿が結果的に「待つ」という姿になる。
これは「無意識的な待つ」だ。
「何かのために意識して待つ」ではない、
子どもに変化を求めない待ち方だ、と。
ではいつまで待ち続ければいいのか?
古豊さんのこの言葉が
「言い得て妙過ぎる!」と思った。
逆説的ですが、まずは待つことをやめて、今日をどうすごすか考えてみませんか。「今は待っている」という考え方では、子どもがあなたの思う姿に変化するまで、待ち続ける日々が続くことになり、子どもの変化によって親が安定したり不安定になることにつながります。
(中略)
かんたんではないですが、まずは「待つことをやめる」ことこそが、理想的な待ち方なのではないかと思うのです。
待つことをやめること。
それが理想的な待ち方。
禅問答みたいですが。
本当にその通りだと深く納得する、
金子純一50歳の冬の寒い朝。
今日も良い1日を。
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