歴史、特に世界史が好きだ。
僕が歴史を好きな理由は、主に2つある。
第一にそれ自体が壮大な物語であること。
事実は小説よりも奇なり、と言うけど
どんな時代にも数多くのドラマはあって、
飽きるところがない。
もうひとつは、それらは全て
実際に起こったことで、
その出来事は今、なにがしかの影響を
自分が生きている世界に与えている、
その事実に興奮すること、の2点だ。
しかし、知らないことは本当に多い。
戦争ゲームに日夜(ほぼ夜だけか)
没頭している忍介13歳。
やりながら突然、
「お父さん、シモヘイへって知ってる?」
と聞いてくる。
シモヘイヘ?
なんの脈絡もなく突然聞かれたのと、
シモヘイヘという響きがファニーなので、
てっきりふざけて聞いているのかと思った。
知らない、と答えると、
歴史好きなんでしょ?
シモヘイヘのことも知らないの?
と呆れられてしまった。
500人以上を狙撃した
伝説のスナイパーだよ、と。
悔しいので検索する。
こういうときに本当にWikipediaは便利だ。
シモ・ヘイへ(Simo Häyhä)。
白い死神と恐れられた
フィンランドの狙撃の名手。
1939年からのソビエトとの冬戦争で、
スナイパーとして史上最多の
542名射殺の記録を残す。
レンズの光が反射して
敵に位置を知られるのを嫌い、
スコープは使わず
照準はアイアンサイトのみを使用。
それでも300mの距離から
確実に敵兵の頭部を狙撃をした—。
知らなかった。しかしよくもまあ、
そんなトリビアを知ってるもんだな、忍介。
なんでも彼がやっているゲームは
とてもリアルで、100mくらいの距離でも
頭部へ狙撃するのは本当に難しいとのこと。
加えてスコープを使うことで自分の位置を
敵に知られてしまうこともあるらしく、
そういう諸々を含めて、ヘイへを語る
彼の口調には畏敬の念がこもっていた。
ちなみにシモ・ヘイへはその後、
終戦間際の戦闘で赤軍兵士の銃撃に
顎を撃ち抜かれ瀕死の重傷を負うが、
一命を取り留め、
2002年に96歳で世を去る。
ヘイへは1998年にインタビューを受けて、狙撃の秘訣を聞かれた際にただ一言で、「習熟だ」と答えた。多くの人間の命を奪ったことについて後悔の念はないかと問われて、「やれと言われたことを、可能なかぎり実行したまでだ」と述べている。
Wikipedia
なんともはや。
まあ、そういうことらしい。
しかし昼夜逆転、ゲーム三昧。
忍介は格闘ゲームやら戦争ゲームやら
いろいろやっているわけだけど、
僕の知らないことを、知らないところで
色々と身につけていくんだなあ、と。
しみじみ思った。
好きなこと、興味があることなら、
自然と覚えるし、詳しくなる。
少なくとも銃の知識や狙撃に関することは
もう本当に忍介には敵わない。
銃や狙撃の知識が戦争以外の場面で
何かの役に立つか?
役に立たなくてもいいような気もする。
好きなこと、興味があることを
自然に覚えて、詳しくなる。
それでまずはいいんじゃないかな。
教科書には書かれない歴史のディテールを
僕が好きになったのも、思えばそうだった。
シモ・ヘイへのことを知るにつけ、
そんな風に思うようになってきた。
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