僕が走り始めたのは、忍介に「死なないで」と言われて、20年来の悪癖を改めてからだ。
何しろ、禁煙すると食事がおいしくてたまらない。
すぐに、すごい勢いで太りだした。
ダイエットから始めたランニング
まず顔の輪郭がなくなり、次にベルトが不要になり、あとはウェストのボタンが閉まらなくなるのはもう時間の問題、
このままだと、すべての服を買い直す羽目になる!
でもそんな手間も予算もかけたくなかった。
でダイエットを始めた。
ビールを止めて、ワインに変えた。
白米を食べるのをやめた。
そして、ランニングシューズを買って走り始めた。
本当に、仕方なく。
ランニングの楽しさに目覚める
ところが!
走り始めて気がついた。走るのって気持ちがいいんだ、と。
僕は野球部だったので、走ることは「懲罰」だった。
うさぎ跳びと同じで、全力疾走のベースランニングとかグランド10周とか、走ることは常に苦痛だった。
でもゆっくりジョギングで走れば違う。
これ、本当に知らない人が多くてみんな驚くんだけど、本当に心地いい。
そして徐々に長い距離を走るようになった。
長い距離を走れるようになると目に入ってくるのは、マラソンの記事や雑誌で。
試しに10kmのレースに申し込む。
ヨーイどん!でみんなと一緒に走る。
晩秋の丹沢湖の爽やかな空気の中で、走って汗かいて。終わって駅前の焼肉屋で生ビール飲んでカルビを食べたら、とびきり美味しい。
そうして走ることにハマった。
走っていて、嬉しいこと
他にも。
自分が走るようになって初めて気がついた嬉しいことがある。
「見知らぬ他人から応援してもらえること」だ。
マラソン大会を走っていると、沿道でいろんな人が応援してくれる。
ランナーである、というただそれだけのことで、みんなから無条件に応援される。
これが、本当に嬉しい。
人間、40歳も過ぎると、他人から応援されることなんて、殆どない。
業務は着実にこなして当然で、苦労してクリアしても誰も褒めても労ってもくれやしない。
ひとつ終わればさらに厳しいリンボーダンスが始まる。
毎日がその繰り返しだ。
でもマラソン大会は、違う。
販促物に誤植があって迷惑をかけた週末でも、そんなの関係ない。
勇敢な挑戦をしている一人の人間として認められ、励まされる。
これは本当に嬉しいし、力になる。
特に東京マラソンなんか走った日には、自分はオリンピック選手なんじゃないかと錯覚するくらい、頭がすっ飛ぶほどの応援をしてもらえる。
同じ方向に向かっていく一体感
もうひとつ、マラソンのいいところは、向かい合っての対戦ではなく、全員が同じ方向に向かって走っていくところだ。
並んで一緒に走るランナーたちは敵ではなく、遥かなゴールをともに目指す同志だ。
ランナー同士、時に励まし合いながら一緒の方角に走っていく。
実に平和な競技だ。
***
僕はかつて野球少年だったから、忍介とキャッチボールをするのが夢だったんだけど、
斜視が関係しているのか、単に球技が向かないのか、忍介はキャッチボールがからきしダメで、残念ながらほとんどしなかった。
そのかわりと言ってはナンだけど、小学校3年生のあの不登校の時期にも、月例のマラソン大会だけは欠かさず一緒に走った。
忍介通信にも書いたとおり、忍介は結構真剣に走った。
辛い時期ではあったけど、彼と一緒の方角に向かって走るのは楽しかった。
と、なんでもマラソンに紐づけてモノを言うのが、ランナーという種族のいけないところだけど。
普段ちょっと感じられない特別な気持ち、つまり、
- たくさんの応援をもらえて勇気づけられる。
- みんなで一緒の方角に向かう連帯感を感じられる。
- 大きな達成感を味わうことができる。
かように、マラソン大会を走ることのメリットは大きい。
オススメです。
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