今朝は3時半に起きてしまった。
せっかくなので、と「積ん読」の
一番上にあった本を2時間、一気読みした。
『呪いの言葉の解き方』上西充子
読み終わったばかりの今、いくつか感想を。
「呪いの言葉」に縛られている
「野党は反対ばかり」
という声に対して、
成立に賛成している法案の方が多いぞ、
と野党側は反論する。
でもこれを聞いたとき、ん?って思った。
「賛成もしています」
こう答えるのって、どうなんだろう、と。
「野党は反対ばかり」のような物言いを
「呪いの言葉」だとこの本はいう。
「呪いの言葉」は、相手の思考の枠組みを縛り、相手を心理的な葛藤の中に押し込め、問題のある状況に閉じ込めておくために、悪意を持って発せられる言葉だ。
相手の土俵に乗らないこと
呪いの言葉を投げつけられたとき、
その言葉にそのまま返事をするのは
相手の土俵に乗ることになる。
相手の土俵に乗ってはいけない。
例えば「嫌なら辞めればいい」というのも
典型的な「呪いの言葉」だ。
「嫌なら辞めればいい」
これは親身なアドバイスなんかじゃない。
文句を言わずに従え、
と言葉を換えて言っているだけだ。
だから黙って辞めるのではなく、
切り返す必要がある。
例えばどうやって?
この本には巻末に
「呪いの言葉の解きかた文例集」
があるのだけど(これもとっても良かった)
「嫌なら辞めればいい」
に対する「切り返しかた」の文例はこうだ。
「どうせ辞められないんだろ? だったら理不尽にも耐えろ」というわけですね。
なんとも痛快な切り返しだと思いませんか?
問題を閉じるのではなく
本の中では、ネグレクトから
子どもを死なさせてしまった
母や父の重い話もある。
とても考えさせられる内容だったけど、
長くなるのでここでは詳細は書かない。
代わりに著者の言葉を引用する。
「呪い」に縛られていると、自分でなんとかしなくてはいけないと思い込まされ、できない自分の姿は、見せてはいけないのだと思い込まされる。そうやって問題を閉じてしまう。そうではなく、問題を「開く」こと、ひとりではできないことは「できない」と言い、適切な助けを求めることこそが大切なのだ。
できない自分の姿は見せてはいけない、
と思い込まないこと。
問題を閉じるのではなく、開くこと。
たぶん言葉で言うほど、簡単じゃない。
でも忘れないようにしたいと思った。
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