もしも数字がなかったら

もしも数字がなかったら
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何の脈絡もなく、ふと思い出したのだけど。

世界史の教科書に載ってた「ゼロの発見」。

ゼロ、つまり何もないこと。
これは6〜7世紀にインドで
「発見」されるまでなかった概念だ。

実際、ローマ数字に0はない。

0はアラビア数字とともに
ヨーロッパに渡り、近世になって
世界中に伝播した。

インド人、万歳!

考えてみれば、ゼロもそうだけど
「数字」もすごく便利なものだと思う。

例えば今、僕らはお店に入って
何かを食べたり買ったりする。

レジで「890円です」と言われる。

500円玉と100円玉4枚を渡すと
10円玉1枚が返ってくる。

でも、シルクロードを行く
マルコポーロたちは、こうは行かなかった。

絹がほしい。
自分たちが持ってきた羊毛で払いたい。

それっていくら?
そうですね、12500円です――

とは返ってこない。当然ながら。

いちいち交渉していくしかない。

絹1枚に対して
どれだけの羊毛を出せばいいのか?

商人同士だから慣れたものだったろうけど、
「8900円でどうだ?」とは言えないわけで。

モノの価値というものを、
数字を使わずに理解したり
判断したりするのは相当にやっかいだ。

一方で。

僕らは数字を日常的に「使い過ぎて」
しまっていやしないだろうか、とも思う。

数字に頼ってしまっている、というか。

モノの価値は、確かに今、
殆どすべて数値化されている。

例えば僕が今、死んだら支払われる
保険金の金額だってそうだ。

ちゃんと数値化されている。

でもそれは僕という人間のすべてじゃない。
ある基準で算出された便宜的なものだ。

そうですよね?

年収も、通勤時間も、体脂肪率も、
ランニングで走る距離も、
Facebookにつく「いいね」も、
なんにせよ。

数字はとっても便利だ。わかりやすい。

脳味噌を少しも使うことなく
量や価値を一瞬で教えてくれる。

でも、もし数字がなかったら。
すべてが物々交換だとしたら。

それはどんなものと交換可能だろうか?
何を自分はどれだけ差し出すだろうか?

例えばお店でおいしく天ぷらそばを食べた。

お礼に自分ができることは、なんだろう?

思い切り面倒だけど、
たまにはそんなふうに考えてみるのも
面白いかもしれない。

と――。

いったい何が不登校と関係あるの?

毎度ながらのオチだけど、
これで終わりにします。笑

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在中学3年生・デモクラティックスクールを経て2019年春からホームスクーラー/忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』を出版しています。