「努力不足を不公平のせいにするのは、
庶民ではなくただの怠け者だ」
というメンタリストDaigoさんのツイートが
賛否両論、物議を醸したとのこと。
もちろん、望むものが手に入るかどうかは
努力の多寡ではない。
生まれた場所や時代、能力や環境など
多くの要因が複雑に関係する。
それでも――。
望むものが手に入らないのを人のせい、
不公平のせい、世の中のせいにするのは
推奨しない、という安達さんの主張。
これにはハッとさせられた。
望むものが手に入らないときに、
人のせいにするのがオススメでない理由。
それは、一言で言うと人のせいにしても
何も変わらないからだ、という。
安達さんがそう思うに至った
コンサルタントだった頃のエピソード。
何事も他責ではなく自責で、
つまり「人のせいにするな」という
自部署の方針が行き過ぎでおかしい、
と知人に相談した安達さん。
確かにおかしい、と同意を得る。
ならば声をあげたほうがいいですよね?
と安達さんが続けたところ、
知人は「やめとけ」と言う。
声をあげたところで何かが変わるのか?
時間の無駄だ、と。
それよりも、自分を変えようと
頑張ってる姿を見せる方がいい。
そうすれば
誰かが助けてくれるかも知れない。
「いいか、人は「文句ばかりのやつ」より「頑張っているやつ」を助けようとするんだよ。正しいかどうかなんて、問題じゃない。」
「しかし……。」
「お前も本当に青いな。頑張るのは、成果に直結するからじゃなない。助けてくれる人を集めるためだよ。頑張ってないやつを、人は助けない。」
人は頑張ってない人を助けようとしない。
良いとか悪いとかの前に、
この心理は確かにあるなあ、と思った。
世の中には不公平・不条理がいっぱいある。
だからもちろん、主張はハッキリしていい。
それが良くないこととはまったく思わない。
ただ、あなたがもし
「助けてくれる人を集めよう」と思うなら。
「文句ばかりのやつ」
に見えるのは得策じゃない。
それよりも
「頑張っているやつ」に見えたほうが
「助けてくれる人」は集まりやすい――。
この視点が、僕にはとても
共感できるものだった。
何かを誰かのせいだと
舌鋒鋭く批判したくなったら、
思い起こそうと思った。
お時間ある方はぜひ全文を。
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