小学校一年生の男の子。
「学校に行くのが怖い」と言う。
「学校に行きたいのなら一緒に行くよ」
と母親は一緒に登校する。
数日間はそれで学校に行った。
ただ母親が登校を促すのをやめると、
子どもは行かなくなった。
しばらくして。
「学校に行ってみようかな」
と子どもが言い出した。
ただなんで休んだのか、
聞かれたらどうしよう?
とも不安そうに言う。
母親は想定問答集を作って、
子どもと練習した。
翌日。
結局、子どもは登校しなかった。
田中茂樹先生の新刊
「去られるためにそこにいる」
で紹介されているエピソードだ。
母親は子どものことを思っている。
子どもを思うが故に、問題を解決すべく
「行動」してしまっている。
これ、すごくよく分かる。
僕もこのお母さんに似たところがある。
先回りして問題解決に向けて
一心に行動してしまうところが。
子どもは「怖い」と言っているだけであって、「怖いからなんとかしてほしい」とは言っていない。何かをするのではなく「ただそこにいる」とは、そういうことである。子どもの不安を感じながら、そこにいる。
怖いと言っているだけ。
なんとかしてほしいとは言ってない。
本当にこれが大事だと思うのだけど、、、
子どもの不安を目の前にすると
条件反射で「じゃあ〇〇してみる?」
が出そうになる。
想定問答集作って練習する、なんて
いかにも金子純一がやりそうなことだ。
何かをするのではなく、ただそこにいる。
こういうのって、意識できるかどうかで
変わるところがすごく大きいと思う。
ということで紹介。
さて、その親子の話に戻ると――
母親は何とかしようとしている
自分の気持ちを意識しながら、
頑張って子どもの不安を受け止め、
向き合った。
夏休み明けの新学期。
今度は子どもが母親に
「学校についてきてほしい」
と言ってきた。
校門で子どもは母親に言う。
「母さん、ここまででいいよ。五秒ぐらいここにいたら帰っていいよ」。そして振り返らずに学校に入っていった。親としては胸が詰まるような淋しい別れであるが、子どもには希望の旅立ちであったろう。
雨ですが、良い1日を。
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