明治末期の運動会での出来事だ。
小学6年生の篠崎少年は
騎馬戦で白組の大将を務めた。
ところが終了時点で白組に残っていたのは
残念ながらわずかな騎馬隊のみ。
紅組の圧勝は明らかだった。
それぞれの大将が自陣へ戻るとき。
意気揚々と引き揚げる紅組の大将の帽子を
後ろからひょいと奪い取ったのは、
白組大将の篠崎少年だった。
もちろん勝負あった後でのこと。
その帽子は無効だ。
ただ少年の無邪気で茶目っ気ある行為に、
観客は大いに盛り上がった。
運動場に溢れる笑いと、やんやの拍手喝采。
そのときだった。
一人の女性が観衆から飛び出してきて、
篠崎少年を騎馬から引きずり下ろした。
「なんだお前のその負け方は!
負けたことを言ってるんじゃない。
その負け方は男らしくない」
涙を流して女性はそう叫んだ。
それは篠崎少年の母親だった。
・・・・・・・・・・
時は流れて、40年後。
昭和20年8月、日本はポツダム宣言を受諾、
連合国に無条件降伏をした。
建軍以来70余年、帝国陸海軍は一度も
敗戦の恥辱を味わったことがなかった。
だから玉音放送の後も、武装解除を拒み、
徹底抗戦を叫ぶ部隊が各地にいた。
そんな中、ある航空隊は潔く武装解除をし、整然と進駐軍を迎えた。司令官が部下をなだめ見事な「負けっぷり」を披露したのである。その司令官が大人になったあの篠崎少年だった。
やがて復員した篠崎元司令官は、故郷へ帰ると真っ先に母親の墓前に足を運んだ。
「お母さん、私の負け方を見ていてくれましたか。教えの通りにいたしましたよ」
遠い日の母の教えを守った報告をしたのだった。
日本講演新聞7月26日号の社説で
中部支局長の山本孝弘さんが
紹介しているエピソードだ。
にんげん、負けたときほど、
試されるものって大きいんだと思う。
見事な「負けっぷり」を披露すること。
それは言うほど簡単なことじゃない。
特にその負けが、受け入れがたいことで
あればあるほど――。
なんだかいかにも古き良き
「明治のおっかさん」
の教えではあるけれど。
心が動いたストーリーだった。
負けたときこそ、負けっぷりが大事。
今日も良い1日を。
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