うちの奥さんは泊りでセミナーだったので、
昨日は忍介と二人で過ごした。
夕食を作って出すと、忍介がTVをつけて
録画したダウンタウンのガキ使を見始める。
二人でゆっくり会話を、
というのが理想なんだろうけど、
まあ、そういうお年頃じゃない。
何気なく僕もそれを見てたんだけど、
あまりにもお馬鹿でしょうもなく、
しょうもなさ具合が突き抜けているので、
何度か忍介と一緒に吹き出してしまった。
僕は普段テレビを見ないし、
お笑いよりドキュメンタリーの方が好きだ。
多分忍介にとって、僕が一緒に見て
大笑いをしている図が珍しかったのだろう。
彼は一度大晦日にフルで見ているから、
あれこれ見所を解説してくれたりした。
同じ画面を見ながらひたすら笑う。
くだらないことで笑いあえるのは、
幸せだなあと思う。
僕が高校生だった頃。
とんねるずの番組「ねるとん紅鯨団」を
夜遅くに弟と笑いながら見ていたら、
珍しいことに父が一緒になって見始めて、
意外なくらいに笑っていた。
なんだかそのことが、自分たちの
「価値観」と言ったら大袈裟だけど、
「面白いと思こと」をそっくりそのまま
受け入れてもらえたみたいで
とても嬉しかったのを思い出した。
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受け入れるということについて。
トマス・ゴードンは「受容は土壌だ」
と言っている。その一節を紹介。
自分はいまのままで相手に本当に受容されていると感じると、人はそこから動き出す自由を手にし、思いのままに自分の変身・成長をはかり、能力を発揮する方法を考えられるようになる。
受容とは、小さな種子の中の美しい花となる可能性を育てる、肥えた土壌のようなものである。しかし土壌は、種子が花になるのを「助ける」ものでしかない。種子が成育する可能性を目に見えるようにすることはできるが、その可能性自体は種子の内部に存在する。種子と同様に、子供もその内部に発達する能力を包んでいる。受容は土壌と同じで、子供が秘めている可能性の実現を単に助けるものでしかない。
トマス・ゴードン『親業 子どもの考える力をのばす親子関係の作り方』
受容は肥えた土壌となる。
ただし咲くのはあくまでも子ども。
ココ、間違えないようにしたい。
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