ある意味「怯え」もあるんだと思う。
自分はこうして頑張ってきた。
組織の中で、社会の中で、
理不尽にも耐えてきた。
たくさんの時間、
数えきれないほどの忍耐を重ねてきた。
なぜか?
それが「人生」というものだからだ。
生きるということを舐めちゃいけない。
甘ったれた根性ではやっていけない。
ここは激しくも厳しい世界なのだ。
なんのかんの、一見平和で平等にも見える。
でもそれは見せかけの綺麗事だ。
一皮剥けば弱肉強食の潰し合いなのだ。
それは毎日、身を粉にして
組織で働いていればわかる話だ。
学校なんて、可愛いもんだ。
社会の方がもっと激しくて厳しい。
「やりたくないです」
そんなの、会社では絶対に通用しない。
なのに「行きたくないです」という、
理由にもならない理由を認めてしまったら。
人生、始まる前から終わってしまう。
「学校行かなくていいよ」
「好きにしていいんだよ」
「ありのままでいいんだよ」
そんな砂糖菓子のような言葉は、
むしろ子どもにとっては害毒だ。
この世界は厳しい場所なんだ。
辛く悲しく切ない場所なんだよ。
働くこと、生きることは
究極の「王様ゲーム」なんだ。
上司が、社長が、得意先が、お客さんが、
「カラスは白い」と言ったら断固白いんだ。
それをしっかり教えてあげなきゃダメだ。
親の役割から逃げちゃダメだ。
とにかく踏み外しちゃダメなんだ。
ぶっちゃけ、学歴切符なしで
一体どうやって生きていくんだよ?
――などなど。
ちょっと誇張して大袈裟に書いた。
でも不登校に対する、
よくある父親の本音だと思う。
こういう思いはかつて僕にもあった。
(だからこうして今も書ける)
冒頭にも書いたけどこれってある意味、
「怯え」なんだと思う。
「学歴切符なしで一体
どうやって生きていくんだよ?」
という怯え。
「この世界は怖い、厳しい」
「とにかく踏み外しちゃダメなんだ」
そういう思い込み。
でもね。今にして思う。
思い込みで怯えてるだけなんだよね。
そして子どもの将来を案じていることは、
みんな同じなのにね。
自分の弱さや怯えを認められない。
だから強がって虚勢を張る。
悪ぶってぶっちゃけ話をしてるフリをする。
でもどこか、本当は自分でも分かっている。
この世界は自分が思うよりも、
実は優しくて温かい場所かも知れない、と。
ただ、これまで数限りなく裏切られてきた。
この世界は優しいと思いたい。
周りの人は助けてくれると信じたい。
でも現実はそうじゃなかった。
そうやって何十年も裏切られてきた。
その傷が彼をかたくなにさせる。
甘いこと言ってちゃいけない。
結局は誰も助けてなんかくれない。
働いてこそナンボ。稼いでこそナンボ。
自分で食えない奴は社会の落伍者だ。
そうして話はどんどんこじれていく。
そんな図を見聞きするにつけ、
僕は悲しい。
向き合うのが怖いんだよね。
怯えがあるんだよね。
僕はそう思う。
そう思うことしかできない。
どうすることもできない。
誠に残念ながら。
でも甘っちょろくも、信じてみたい。
いつか、いつか、時が満ちて――。
彼が本当に自分に向き合う季節が来る。
そしてささやかな和解の瞬間が訪れる。
きっと悪いことにはならない。
この世界は良いところにだってなり得る。
はい、ただのつぶやきポエムでした。
今日も良い一日を。
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