変わる必要があるのは自分

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少しくらい嫌なことがあっても、
社会に出たらもっと嫌なことがある。

学校は、いわば嫌なことを克服する場だ。

不登校新聞9月1日号の記事
「息子を支える3つのルール」
息子が中1から不登校 野田麻里さんに聞く

を読んだ。

冒頭の言葉は野田さんが
息子さんの不登校を受け入れられず、
当時思っていたことだ。

やっぱり僕も、そんなふうに思っていた。

実際、忍介が小学3年生で不登校になった時、
そう思うからこそ「頑張れ負けるな」方式で
ひたすら暑苦しく応援していた。

毎晩お風呂で諄々と説いた。
そして「三学期から学校へ行く」
と彼に言わせていた。

そう、まさに言わせていた。
今思えばもう、反省しかない。

そんなこんなをありありと思い出した。

「なんのために生きてるのかわからない」
「生きていても意味がない」

野田さんの息子さんはそう言って泣いた。
忍介も同じことを言っていた。

帰宅するたび、このドアの向こうで
息子が死んでたらどうしよう?
と野田さんは不安に駆られたという。
鍵穴に鍵を指す手が震えた、とも。

僕らの場合、忍介がまだ
小学校3年生だったこともあって、
そこまで思いつめたことはなかった。

でもニッチもサッチも行かなくて。

そんな中で行き着いた野田さんの答え。

この部分はまさに、本当に、
僕もまったく同じことを当時感じた。

私にとって息子は、産まれたときからかわいくてしょうがない存在です。つらい思いをしている大事なわが子をどうにかして救いたい。そう思ったとき、変わる必要があるのは息子ではなく私だと強く思いました。私が変わらなければ息子は救えないし、逆に追い詰めてしまうと。ですから、「命令しない」「否定しない」「ありがとうを言う」は私を変えるための修行でした。

3つのルールを中心に態度や言葉に気をつけていくと、息子はだんだんと明るくなっていきました。

変わる必要があるのは自分。

すぐには難しい。
でもそれも修行、と心を決める。

僕に関して言えば、田中茂樹先生の
『子どもを信じること』を読んで
アイスクリーム療法を試した時が
その瞬間だった。
ある意味、それは決定的な転調だった。

もちろん人間、すぐに簡単には変われない。

ときどきヒーローもののように
「変身」できたら、と思いながら
徐々に徐々に、苦しい思いもしながら
少しずつ変わってきた。

そして今や、こんなタイトルの
ブログを毎朝書くようになった。
思えば遠くへきたもんだ。笑

それはともかく。

変わる必要があるのは自分――。

誤解を恐れず言うなら、その決定的な
転調の瞬間を味わうことが出来たのは、
やっぱりギフトだったなあと思う。

なかなか、渦中にいる時には
スッと入って来ない考えだとは思うけど…。

もしかしたらこれをお読みにあなたに
どこか、何か、響く部分があるかも。

そう思って書いてみた。

ようやく少し涼しくなってきた。
今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。