屋外だろうが一人運転する車の中だろうが、
「いつでもマスクの異様さ」については、
このブログでも何度も書いてきた。
僕は外を一人で歩くときや
ジョギングのときはマスクをしない。
だって意味ないよね?
でもときどき自分の方がもしかして
おかしいんじゃないかという気もする。
自分以外全員がマスクをしているからだ。
だからこういう記事を見つけては、
ときどき一人で溜飲を下げている。
おかしいのは、俺じゃなくて
みんなの方だよね、と。
たぶん圧倒的に少数派だとは思うけど、
いつでも何でもかんでもマスクはおかしい!
と思う人は、読んで溜飲下げてください。笑
面が割れていない状態
この記事の中ではひとつ、
僕には新しい観点があった。
マスク=匿名性→微笑みが消える、
という指摘だ。
さて、すっかり昔に戻っているドイツだが、久しぶりにマスクをせずに人ごみの中に出たら、開放感全開だったと同時に、一抹の緊張感もあった。
この緊張感はどこから来るのかと考えて、ふと、気づいた。顔を全部さらけ出すということは、自分の行動に全面的に責任を持つということなのだ。
その反対に、マスクで顔を半分隠している時は、いわば「面が割れていない」状態であり、半分匿名のような気分になる。匿名の時には緊張感はない。その上、微笑んでもどうせ相手に見えないのだから、微笑むこともやめる。
人間、微笑まないと、優しさや礼儀が失われていく。この不自然さに慣れてしまえば、人間同士のつながりは希薄になり、どんどんギスギスした世の中になっていくのではないかと懸念する。
観念的で、科学的じゃない話かもしれない。
でもサッコンの世相を鑑みるに、
僕にはストンと胸に落ちる指摘だった。
確かにギスギスした世の中になってるよね?
子どもたちのためにも
ドイツではもう誰もマスクをしていない。
これからも次々と現れるであろう
コロナの変異株。
その流行をマスクで防御できるとは、
多くの人はもはや信じていないからだ。
そして最後のこの一文に心から同意する。
日本の夏は、ドイツよりも不快指数が高い。日本政府には、その不快をさらに増幅することのないよう、気温と湿度の高さを理由にしてでも、是非ともマスク着用に終止符を打ってほしいと思う。
幼い子供たちが、人間はマスクで顔を半分隠している状態が正常だと思わないうちに。
今日も良い1日を。
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