中学校では3年間、僕は野球部だった。
もちろん時代は昭和だ。
水飲みは絶対禁止だし、
うさぎ飛びの黄金時代。
先輩後輩も無駄に厳しかった。
僕は下手っぴだったし、
途中からは情熱もなくしたので
最後は惰性でやってた。
ただひとつ、自分は先輩たちからされて
嫌だったことは意識して後輩にしなかった。
そしたら思い切り後輩たちに舐められた。
それはまあ、別にいいんだけど。笑
あの時、あの頃、こんな辛い思いをした。
でもだからこそ
自分は上達することができた――。
殴られて育った選手が指導者になったとき、
スポーツ指導の現場ではそうやって
暴力を正当化する体罰の連鎖が起こる。
そしてこの指摘は確かにそうかもと思った。
「同じことは教育の現場でも起きています。教師や生徒との人間関係に苦しんだり、一時期いじめのターゲットになったりして、『学校に行きたくない』と思った人は、相当な数に上るはずです。ところが、そうした人々が学校を卒業すると、『あの苦労があったから自分は成長した』と正当化してしまいます。そして不登校のまま学ぶ生徒を見ると、まるで自分を否定されたような気になってしまう。『自分だけ楽しようとしてずるい』と批判するのです。同じ傾向は、ゆたぼんくんを巡る議論でも見られると思います」(同・石井編集長)
「自分だけ楽しようとしてずるい」
学校へ行かない子を見ると、まるで
自分が否定されたような気になる――。
これ、多かれ少なかれみんなが
心の奥底に持ってる感情だからこそ、
ここまでゆたぼんくんの話が今、
荒れてるんじゃないだろうか?
だってほっときゃいい訳じゃないですか?
なんで外野があれこれワイワイ騒ぐのか?
石井さんの最後の一言も実に良かった。
ゆたぼんの将来を心配する声についても、石井編集長は「子供には『失敗する権利』があるという考えがあります」と話す。
「自分の意思で選択した結果が間違っていたのなら、それも重要な学びになります。特に親はどうしても『我が子が間違わないようにしよう』と先回りする傾向がありますが、それは間違いを犯すという機会を奪っていることになるのです」
- 子どもには失敗する権利がある
- 選択の結果も重要な学び
- 間違いを犯す機会を奪わない
さらっと触れてるけどこれ、実は結構な
ファイナルアンサーじゃないかしらん?
今日も良い1日を。
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