不登校新聞6月1日号。
高認を受けた私の不登校その後
優等生だった私の「底つき感」
高1で不登校
高橋由紀さん(仮名・33歳)に聞く
を読んだ。
「ペンを持つだけで涙とまらず」
「比較することが苦しみの源」
見出しが本当に的確に、
内容を要約しているのだけど、、、
高校を中退して2年間ひきこもった。
19歳で高認を受けて大学へ行くと決意した。
ただ、ペンを持つだけで涙が溢れてしまう。
優等生だったかつての自分との比較。
とっくに進学している同級生たちとの比較。
比較をすればするほどしんどくなるのは
自分でもわかっている。わかっているのに、
どうしても比較しないではいられない、
その辛さ・しんどさ。
よくよく考えれば――。
自分の経験に照らしてみても、辛い時って
確かに比較しているよな、と。
自分はもっとできるはず。
自分はこんな程度のはずがない。
自分で自分のハードルをどんどんあげつつ、
でもそのリンボーダンスがクリアできない。
そんな自分が認められない。
だからしゃかりきになる。
他人に絶対、背中を見せちゃいけない。
弱音を吐くなどもってのほか。
そうなると、物事って面白いくらい
どんどんうまく行かなくなるんだよな。
そんな黒歴史を思い起こさせられた。
とまあ、自分の話はさておき。
高橋さんの話だ。
大学も偏差値にこだわりすぎて
合格するのに何年もかかった。
高認経験者として伝えたいこと、
と聞かれて高橋さんが最後に答えた
2つの答えが印象に残った。
ひとつは今の自分がやりたいと
思うことを大事にすること。
もうひとつはエネルギーを
ためる時間を大事にすることだ。
そういうとき、私は自分を責めてしまっていました。自分で勉強すると言い出したのに、怠けているような感覚になってしまうんです。だからもし、勉強したいという気持ちが湧き上がってこない状況にある人がいるならば、そういう今の自分を責めないでほしいと思います。たんに動き出すためのエネルギーが充電されていないだけで、あなたが悪いわけじゃないよって。
そう。
あなたが悪いわけじゃない。
エネルギーが充電されていないだけなのだ。
充電の時間を、大切に。
今日も良い1日を。
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