もう四半世紀も前の話だけど。
確か新入社員研修の最初に
教えられた気がする。
「ご苦労様」という言葉は上から目線。
共に働く人に対しては
お疲れ様という言葉を使うこと、と。
白状しよう。
それを聞いた時、、、
なんだかとっても大人で、
物知りになった気がした。
誰かに
「おい、知ってるか、
ご苦労様って言葉はな…」
と先輩風吹かして言いたい気分だった。
以来「ご苦労様」という言葉を
自分から発したことは一度もない。
そしてたぶん、これって
結構徹底されてるんじゃないか。
他人から「ご苦労様」と
言われたことは殆どない。
あなたもそうですよね?
でも、、、
先日「了解しましたは目上に失礼」の
違和感について書いたけど、
この手のマナーって
よくよく考えると変な話だ。
そして、この記事を読んで、
とっても納得が行くところが多かった。
日本人はなぜ「マナー=正解」が大好きなのか?
要約する。
- その言葉が失礼だ、と知ってしまうと言い換えるようになる
- そして他人が使うと「失礼だ」と怒るようになる
- 他人に迷惑をかけるのは罪、厳しく罰するという狭量さがある
- 常に「正解」を習い続けた結果、正解は作り出すのではなく、与えられるものになる
- 間違いや失敗を極端に恐れるから、マナーという安全なプロトコルに従う
そして僕が一番共感したのは、
最後のこの一節だ。
「マナー」の怖さは、知っている者がエラく、知らない人は常識がないと単純化し、遊びも余白も自分なりの解釈も許されないところにあり、それが時に、排他性に結びつくところではないだろうか。本来は相手が不快に思ったり感じたりしないようにするための行儀・作法という意味だが、その決まり事は国や時代、人などによってまったく異なるわけで、「真実」とも「常識」とも違う。
本来は相手が不快に思ったり
感じたりしないための気配りのハズ。
それがすぐにこうした
「正しいマナー」に化ける。
冒頭の「お疲れ様」の話もそうだけど、
この手の話って、言われてしまうと
ついつい従ってしまいがちだ。
なぜか?
他人に対して失礼のないようでありたい、
という僕らの根源的な願いに
ダイレクトに作用するからだ。
でも
遊びも余白も自分なりの解釈も許さない、
というものはやっぱり息苦しい。
このルール、本当にそういうものなの?
その疑いは常に、持ち続けていたい。
正解、に囚われるのではなく。
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